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傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「少女椿」

ホラー カルト 邦画 B級

 この世にいるのはよいこだけ

 


『少女椿』映画オリジナル予告編

 

【あらすじ】

 少女みどりは父が失踪、母が病床でネズミにかじられて死ぬという悲惨な境遇。拾ってもらったサーカスの一座で雑用をしているが、いじめられてばかり。経営の傾いたそんな一座にやってきたのは、瓶にすっぽり体を収める奇術を使う男、ワンダー正光だった。

 

【感想(ネタバレなし)】

 これまで「実写化不可能」と言われてきた本作を、この2016年に映画館で見ることができるとは思いませんでした。今年は『ライチ★光クラブ』も映画になったことですし、もう何が来ても怖くないんじゃないか。

 

 で、件の『少女椿』なのですがこれだけは断っておかなければならないことがあります。ここで映画を見るか見ないか分かれるところだと思うのでよく覚えておいてください。

 

 見世物小屋は出てきません。

 

 もう一度言います。

 

 見世物小屋は出てきません。みどりちゃんの特訓もありません。

 

 いやー、大体の人が想像する『少女椿』なんてほとんどが「見世物小屋」のシーンじゃないですか。可哀そうな身の上の少女が血まみれで泣きじゃくる、というのも見世物小屋の口上のひとつですからね。唯一鞭棄の弓だけそれっぽいのが出てきますが、演出としてぽいだけです。でも実際に足で弓を引いていたそうなので、それはすごい。でも紅悦の蛇も赤座の人間ポンプもナシ。さて、ここで帰るお客はハイ回れ右。

 

 でもでもちょっと待ってくださいよ。それでもこの映画は映画として頑張っていました。「如何に見世物小屋のおどろおどろしさで誤魔化さないで『少女椿』をやるか」というところに挑戦している感じもしました。なんていうか、「秘密道具抜きでドラえもんの話を進める」みたいな、アレです。「果たしてこれは少女椿と呼べるのか!?」と言われたら、「うーん、少女椿みたいな、少女椿もどき?」という感じでしょうか。もうそれだけでイヤは人は帰ってください。金がないなら帰った帰った。

 

 で、これは「少女椿」をモチーフにした質のいいビデオクリップだと思うとすごく楽しめます。いかにもチープで悪趣味な小道具に悪趣味なシーンの連続で開幕。いかにも予算がありませんという感じのセットにいかにもなセリフ回し。見ているお客はわりとつじつまが合わなくてイライラするかもしれません。だって、「見世物小屋」という要素を一切排除してしまっているのだから。そんなわけで、ワンダー正光は小人ではないですし、芳一と海鼠は「異人」として宇宙人か何かのような扱いになっていました。この辺をバッサリ切り捨てた脚本は、ある意味賞賛します。

 

 それと、セットは基本的に演劇の舞台をイメージしていたと思います。だから役者の衣装も記号的になっているし作りも大げさになっています。多分少女椿の世界を本気で再現しようとすると本気で面倒くさいことになりそうなので「逃げ」と言えば逃げですが勇気ある撤退だと思いました。いや、無理でしょこのご時世にいくら映画の撮影といってもアレは、ねぇ。

 

 あと、俳優陣の演技が本当に素晴らしかったです。特にワンダー正光の風間俊介さんは「怪演」という言葉がぴったりでした。「見世物小屋」の要素に期待できなくなった時点で「ワンダー正光の物語にクローズアップするのかな」と思ったら、大当たりでした。それまでのワンダー正光ではない新解釈のワンダー正光という感じです。正解なんてないんだろうけど、このワンダー正光はある意味完成形だと思うのです。

 

 そして舞台版と同様、原作漫画の展開だけでは尺が短いので追加のエピソードや人物設定の変更などいろいろあります。それがまた「2016年にやるからなぁ」という感じです。それはそれで面白いんじゃないかな、というのが正直な感想です。特にワンダー正光周辺の改変は割と好きです。

 

 まぁこの映画、「何かの暇つぶしに見よう」と訳も分からずに映画館に入ってきて見るようなものでもないし、冒頭1分で「あ、原作無視展開入りましたー」ってスイッチが入るので基本的に「演劇やB級映画の文脈」で見るのがベストだと思いました。大味で記号的なセットに演技、それからのご都合展開。それも含めて概念として『少女椿』を受け取りました。そういうわけで面白かったどす。 以下ネタバレ感想で「概念」周辺について気持ち悪い話になります。お代のない人は帰ってください。

 

少女椿

少女椿

 

 

『少女椿』2012DVD

『少女椿』2012DVD

 

 

 

【感想(ネタバレあり)】

 まぁね、酷評されるよね。「少女椿なのに見世物小屋がない!」というのは。パッと見の役者の衣装はペラくてコスプレっぽいし、 結構台詞が棒読みっぽいところが多かったし、カナブンに関しては怒り狂う人が出てもおかしくない恰好だったし。個人的には嫌いじゃないけど、あのカナブン。カナブンは後半頑張っていたから許す。

 

 映画の途中で「見世物小屋の要素を排除した理由はなんだろう」とぼんやり考えていたのですが、やっぱりワンダー正光が何故みどりちゃんを救いたがるかというところに焦点を当てるためというのと、現代の観客に「見世物小屋」を見せる必要があるのかというところじゃないかなと思うのです。そもそも現代日本で「見世物小屋」はほとんど消えたと言っても過言ではない。それに、架空の物語のはずなのにでかでかと「この作品は障害者を差別しているわけではありません」だのなんだのテロップが必要になってしまう。「いや無自覚であろうが意図的であろうが差別は差別」となり、「表現の自由は保障されているうんだら」「いやいやかんだら」となって、それならいっそのこと取っ払え、ということもアリなんじゃないかと思うのです。


sidelinea.hatenablog.jp

 

 その辺の見世物小屋の悲哀に関しては『フリークス』で全て語り終えている感じがするので同じところを目指しても仕方ないでしょう。

 

sidelinea.hatenablog.jp

 

 そんなわけでワンダー正光がクローズアップされたのですが、やっぱりこの話の主題は見世物小屋を排除したとしても「見るものと見られるもの」の話だと思うのです。ステージの下から「早くやってみせろ」と囃したてる観客たちを「お前らも醜い化け物だ」と怒るワンダー正光。そして幻術によって観客たちも一部がねじれたり、一部が肥大化するなどこの世のものとは思えない化け物のような姿になる。ここのシーンが本当に良くできていて、「異常な出演者と正常な観客」の境がなくなり、観客の悪意に応えたワンダー正光はますます化け物めいた術を使っていく。この辺の構造が何かにそっくりだなぁと思ったのですが、気のせいでしょう。

 

 

 つまり、「見世物小屋」はインチキと嘘にまみれていて、この映画もそんな胡散臭いムードを隠しきれないでいる。そんなものを好き好んで見に来て「つまんねぇぞお!」と野次を飛ばした瞬間に、現実の観客もワンダー正光の幻術にかかって化け物に成り果てるわけです。すげぇ怖い映画。舞台版もそんな構造になっていました。

 

 女優になったみどりちゃんが今回最後に登場したのですが、ここでみどりちゃんは初めて「見られる」という視点を得ることになります。赤猫座の団員やワンダー正光が日頃から経験していた「見られる」ということは、みどりにとってもプレッシャーでした。「みんなから見られれば大切にされる」と思っていたのに、実はそうでもなかった。結局みどりも「見ると見られる」の構造から逃れることはできず、一人ぼっちになってしまいました。最後のシーンは、そんなみどりを「見ている」観客に向けたメタ仕草です。なんだろこれ、やっぱり怖い映画だ。何が本当でそうじゃないのかわからない。

 

 この映画は内容だけでなく、結構いろんなところからゲストがやってきていて、それも面白さのひとつでした。鳥居みゆき鳥肌実という「どこの界隈で盛り上がるんだ」という人選が最高です。安定の鳥居みゆきに対して鳥肌実のあれは最高に気持ち悪いですね。褒めてます。敬語で致していたんでしょうか。それからスタッフロールで『ズートピア』の「厚切りジェイソン」並に驚いたのが「御茶漬海苔」という文字。「あの子のジンタ」に合わせてこの文字が入ってきた時点で、この映画は面白かったという結論になりました。安直ですね。

 

 あと予告からドキドキしていたんだけどモロ「ラーメン博物館」が出てきたのはかなり攻めているなあと感じました。あそこまで開き直ると、これは攻めしかない。ただ頭の中でずーっと「どうかなこれ新型ギミックあまりに革命的な人」が流れて流れて仕方がなかったです。安易なラーメン博物館の使用はやめようぜ。

 


はなまるぴっぴはよいこだけ / A応P

 

 総合すると、映画単体の質としては非常によくないです。でも、これはその「よくない」を楽しみに見る映画だと思いました。そして『少女椿』から逃れることのできない「見ると見られる」の関係も映画そのものが道化になることで果たしているのかなと感じました。そういうのも含めて、胡散臭さだと思うのです。でももう少し湿っぽくてもよかったんじゃないかなぁ。

 

 あとフリークス要素がなくてガッカリと言う人は、とっておきのフリークス映画を紹介するので見てください。面白いですよ。

 

sidelinea.hatenablog.jp