傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「さらば、わが愛 覇王別姫」

散ることもまた美しくありたい。

 

 

さらば、わが愛 覇王別姫(字幕版)

さらば、わが愛 覇王別姫(字幕版)

  • 発売日: 2015/11/15
  • メディア: Prime Video
 

 

【あらすじ】

1920年代、娼婦の子供が京劇の養成所に売られる。小豆子と呼ばれた子供は兄貴分の小石頭と共に「覇王別姫」の項羽役と虞姫役を演じるようになる。成長して程蝶衣と段小楼と名乗るようになった彼らは日本軍の占領、中華人民共和国の建国、文化大革命など時代の荒波に飲まれていく。


【感想】

随分間が空いてしまいまして申し訳ない。2020年は生活環境がまた変わって更新が出来るかどうかよくわからないので適当に付き合って貰えたらと思います。


さて、今更ですが2020年最初の感想は「さらばわが愛、覇王別姫」です。この映画、京劇の愛憎劇みたいな話だと聞いていたので勝手に「覇王別姫の舞台に立つ役者達が役を奪い合うメロドラマ」みたいなのを想像していました。メロドラマには違いないのですが、方向性が全然違いましたね。びっくりでした。ごめんなさい。


そんなわけで最初の幼少期のシーンはもう衝撃以外の何物でもありませんでした。「そっか京劇も女役か」とか「見世物小屋か」とか「指が……」とか、衝撃を受けている間にこの映画最大の衝撃の幼少期クライマックスが待っていました。


確かに「同性愛の話だ」とか「時代の激流に翻弄される役者の話だ」とかそういうのも衝撃なのですが、この映画のひとつの山場はやはり小癩子の最期にあると思うのです。出来が悪く逃亡も企てる小癩子と頼りになる先輩の小石頭に虐められる小豆子。ある日「サンザシの飴がけが食べたい、あれを食べると何も怖いものは無い」と脱走した小癩子とそれについて行った小豆子。たまたま売れっ子の役者の舞台を見て感動する二人。小豆子はただ涙を流すだけなんだけど、小癩子は「何度打たれたらあんなに素晴らしい芸ができるのか」と単に芸に泣いているわけではない。結局養成所に戻ると2人を見逃したとして全員が折檻を受けていた。小豆子はそこに飛び込んで「皆は悪くない、逃げた私をぶって下さい」とひどい折檻をを受ける。その様子を見た小癩子は持っていたサンザシの飴がけを口いっぱい頬張る。次のシーンでは、彼は自ら命を絶っていた。


とても象徴的で短いシーンなんだけど、ここの小癩子の心持ちを考えると本当に深い。あそこでサンザシを口いっぱい頬張る小癩子に「稽古や折檻の過酷さに絶望したから」という理由を宛てがうのは薄い気がする。思うに、彼は小豆子を助けたかったのではないだろうか。絶望もあるけど、ここで騒ぎを起こすことで小豆子の折檻を有耶無耶にしようとしたのではないかと考える。あの頬張るシーン、「怖いものはない」と言う言葉が響いてもうそれだけで涙が出る。小癩子よ、安らかに。


それからも辛いシーンが連続する。小豆子が自身の性を完全に倒錯せざるを得ないシーンはわかっていても辛い。「そういうもの」だったのだろうと考える。でも辛い。ある意味吹っ切れたことで彼の芸は素晴らしくなったんだろうけど、大切なものも失ってしまった。何回も叩かれるより辛いことだったろうな。


成長して程蝶衣、段小楼としてスターになってからも辛いシーンは続く。女性として小楼を慕う蝶衣は小楼が菊仙と結婚することがとにかく面白くない。それで関係はこじれるけど、かつての師匠の取り無しで再び舞台に立つことに。しかし時代は第二次大戦後、共産主義の時代がやってきていた。


紆余曲折ありながらも京劇の舞台に立ち続けてきた二人に残酷な仕打ちが次々と降りかかる。「労働者のための京劇」として改革が次々と行われ、かつての名優は古い考えの悪人と認識されてしまう。特に目にかけていた孤児小四が蝶衣を蹴落として虞姫役を得た時に菊仙だけが蝶衣を気にかけていたのは本当にやるせなかった。


そして迎えた文化大革命の日。京劇は人々を堕落させる悪として激しく弾圧される。自己批判を強要された小楼は菊仙の過去や蝶衣の過去について話してしまう。負けずに蝶衣も小楼の過去をぶちまける。そして菊仙に対して小楼は「愛していない」と言ってしまう。このシーンのためにここまでの長い話があったのかというくらいこのクライマックスが凄まじい。京劇に生きるしか無かった二人が自身の人生を否定され、それを公の場で罵られながら発言しなければならないことの残酷さに巻き込まれる菊仙。その後、彼女は言葉もなく自ら命を絶ってしまう。そこにサンザシを口いっぱい頬張って死んで行った小癩子が重なる。京劇のそばにいながら染まることの出来なかった者の末路がリフレインされる。


文革の時代が終わり、久しぶりに公演が行われるということで呼び戻された蝶衣と小楼の小さなリハーサルで幕が降りる。蝶衣は虞姫として、そのまま舞台上で命を絶つ。小楼は咄嗟に「小豆」と蝶衣の昔の名前を呼び、二人のただならぬ因縁を再度観客に示して終劇。こんなん泣くしかない。結局蝶衣は京劇の世界でしか生きることができなくて、それ故に京劇の中の愛する男の前で自己を完結させていく。


さらば、わが愛」は蝶衣から小楼へ、菊仙から小楼へ、そして蝶衣から京劇への愛なのかもしれない。全てに「覇王別姫」の筋が響いてくるのが更に愛おしく、狂おしいほど切ない。3時間があっという間のすごい映画だった。「なんとなく」で見る映画ではなかった。今度は覚悟してもう一度見よう。おしまい。