感想「ダンボ」
ぶっちゃけピンクの象を抜いてもディープというかダークというか、アカンだろうコレ。
【あらすじ】
【感想】
そして、サーカスが精神的に苦手です。サーカスの一番最初の思い出は、近所に来たサーカスのライオンが脱走して幼稚園が休みになったということです(実話)。その次実際にサーカスに触れたのが子供会でやっぱり近くにやってきたサーカスに行ったことです。夏の終わりの頃でテントの中は暑く息苦しくて、ちょっと薄暗いその中でいろんな人が曲芸をしていました。最後の空中ブランコがかっこよかったのは覚えていますが、一緒に行った近所のガキが「退屈」だの「あれはうそんこなんだよ」とかうるさくて不快だった記憶しかありません。
更に決定打は「君よ知るや南の国」というゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」をオペラ化したものを児童書にした本でした。サーカスに売られた少女ミニョンと青年ヴィルヘルムの話で、ミニョンはサーカスで踊ることを拒否し、ムチで折檻されているところをヴィルヘルムに買い上げられます。サーカス育ちのミニョンはベッドで眠ることができなくて、床の上で寝ます。不憫に思って藁を敷いても、藁をどけて直に床の上で寝ます。このエピソードがとにかく生々しくて、サーカスとは一体どんな過酷なものなんだと幼心に精神的なバリアを張ってしまったのでした。ジョン・ケイシーとかピエロ的なものも怖いし、クラウン恐怖症の傾向もあります。昔東武ワールドスクエアの中にあったサーカスのミニチュアも不気味で大嫌いでした。
そして成長するにつれてそんな歪んだサーカス観を持っている人が少ないことに気が付いたのです。そもそもサーカスとは「見世物」であり、「恐怖!怪奇蛇女」的な見世物と大差がないのです。第一ダンボのあらすじを人間の子供にすると悲惨なことになります。
「サーカスに売られてきた唖の少年は身体的な特徴により周りの笑いものだったが、不憫に思った小人症の道化師に才能を見出され、ある日その特徴を生かした芸をすることで一躍人気者になった」
これを動物にしただけなのが「ダンボ」です。「コンプレックスを生かして武器にする」ことの大切さを訴えているのは明確ですが、サーカスでやるという舞台がなんともシャレになってない気がします。どんなきれいごとを並べても、結局ダンボは見世物になっているのです。
「ダンボ(Dumbo)」とは「ばか・間抜け」という俗語で、「Dumb」になると「口のきけない」という意味になる。実際劇中に出てくるダンボは一切口をきかないし、母親ジャンボもほとんど言葉を発しない。サーカスで見世物になっている対象は人間とコミュニケーションが取れない。それは「フリークス」でも結局奇形者は人間と相容れないものとしていたことと一致する。
ただでさえ設定がカルトめいているのに極めつけが「ピンクの象」だ。ダンボが酔っぱらってみる夢に出てくるピンクの象のシーンだ。
こういう幻想空間はディズニーお得意でもっと変なアニメもたくさんあるのでこのシーンを特別不気味とか思わないけど、まあ不気味だよね。子供が見たら泣いちゃうかも。
いろいろと書いてきたけど、以上は大体サーカス嫌悪を持つ人の言いがかりで純粋な親子愛のかわいい作品だと思います。大体1941年の作品でこのクオリティは素晴らしいです。小さなお子さんを持つお父さんはTDLでくるくる回っているダンボに子供さんを乗せるのを延々と待っている間にフリークスのダンボのことでも思い出して、暇をつぶしていてください。