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傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「ブレードランナー」

「え、ちょっとまだ見てなかったの? プ」というセレクト。

 

 

【あらすじ】

 わりと未来。人間は宇宙に進出するようになっていたが、危険な作業は人造人間「レプリカント」にお任せしてあった。ところがそんなレプリカントたちが反旗を翻し、地球へ逃走してくるといったことで生まれたのが専門捜査官「ブレードランナー」だ。主人公のデッカードは脱走した「ネクサス6型」というレプリカントを抹殺するために彼らの製造元であるタイレル社へ行く。そこで出会った秘書レイチェルは謎めいた魅力を持っていて……。

【感想】

 もう既に定番になってしまっているけど、やっぱり基本ははずしたくないよねという感じ。1982年にこの映像、素晴らしい。原作は一通り読んだけど、こんな世界は想像していなかった。というか難解で分からなかった部分もあったのでいつかリベンジしようと思っている。

 

 でも実はこれ挑戦するの2度目。前に見たときはプリスがセバスチャンの家にお友達を呼ぶあたりで力尽きて気が付いたらプレイヤーのロゴが画面にばっちり映っている状態でした。たぶんレンタルの期限が迫っていて連続で3本くらい見たのがいけなかったのでしょう。

 

 映画リベンジするにあたり、最初の方はあらすじは大体押さえていたので映像演出に注目しながら見ることができました。圧倒です。美しいです。これぞまさしくありえたかもしれない近未来。そして「強力わかもと」と「日本語をしゃべる屋台のおっちゃん」はレベル高いです。雑多で多国籍な街並みがより非日常の中の日常を演出しています。アメリカ人が持っている日本のイメージがわかってよろしいです。しかしうどんは本当に食い過ぎだと思う。

 

 タイレル社のタイレル社っぽい感じとかレイチェルの「実は機械だよ」的な演技もツボなのですが、映像で一番好きなのはセバスチャンの家。あんなにおもちゃがあふれかえっていているのに楽しそうでない雰囲気はタダモノではない。クライマックスの廃ビルでの決闘は手に汗握る展開で最後までハラハラできました。

 

 この映画の本質は原作通り「人間は本当に人間なのか」という点に尽きる。レプリカントのリーダーロイ・バッティにしろプリスにしろ、彼等がまるっきりの悪の心を持ったロボットでないことは映画を見た誰もがわかると思う。彼らはただ生きたいと思っただけだ。でも生まれが違うと言うだけで排斥され、犯罪者以下の扱いを受ける。突き詰めて考えていくと人種差別と何が違うのか分からなくなってくる。

 

 人間は自分がつくり出したものだから完璧にコントロールしたいと思うかもしれない。時にそれは自分の子供に向かって過干渉と言ういびつな愛情を注ぐことになる。レプリカントたちは自分の人生を生きたいと願ったけれども、親たちが与えられた運命に従わなければ抹殺するという選択をさせた。ものは生み出された時点で何もかもが個として独立する。それは芸術作品も同じだと思う。「それ」の望む魅力を与えられなければ、改変されて低俗なものになっていくだけである。

 

 人間はレプリカントが反乱を起こすことを恐れて生命の維持に期限を設けた。もし人間が不死になったらいつか自分を生み出した神のような存在にはむかうかもしれないと考えた神が、人間に寿命を設けたのかもしれない。人間とレプリカントの関係は、いつだって神と人間の関係に酷似する。自信が所詮被創造物であると受け入れることが幸せなのか、創造物を越えることで誰も見たことがない幸せにたどり着くのか、それは誰もわからない。