傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「天使にラブ・ソングを…」

 気持ち悪いのが続いているので無理矢理明るい映画。

 

天使にラブ・ソングを… [DVD]

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 【あらすじ】

 クラブ歌手として活動しているデロリスは、愛人のヤクザが殺人をしているシーンを目撃してしまった。唯一の目撃者として消される前に警察に駆け込んだデロリスは、裁判の日まで修道院に身を隠すことになる。自由奔放なデロリスは修道院の窮屈な生活に嫌気がさすが、聖歌隊のリーダーとなることで地域から見捨てられた修道院を変えていくことになる。

 【感想】

 言わずと知れたコメディ映画。人生で繰り返し見たい映画というのもそんなにないと思うけど、この映画は自分の中でそのひとつに入る。ひたすらコメディタッチの軽い話というだけでなく、本当に音楽が素敵。聖歌隊の歌声に導かれて「ワルそうな奴ら」がおそるおそる教会に入ってくるシーンが何度見てもお気に入り。それから語り草の尼さんがカジノに突入するシーンもシュールで大好き。日本風に言うなら、お坊さんが集団で競馬場に来て大穴狙いで有り金つぎ込んだ状態で「いけー!いけー!」と盛り上がっているところを想像してもらえるといいのだろうか。

 

 ひたすら軽いノリだけど、この映画の裏テーマに「信仰」というものがあると思う。何かを信じていることを証明するときに、人は建て前だけでも取り繕おうとする。つまり形だけのハンコを押しているような態度が全面に出てくるときは「何かを信じていることを『証明』する」ことに躍起になっている。のびのびとした態度の時は「何かを『信じている』ことを証明する」だけである。どちらに重きを置くかで、メッセージ性が一段と変わってくる。


 形だけの聖歌隊だった修道院のメンバーを見て、デロリスは「まともに歌える」だけではなく「証明だけが信仰じゃない」ということも聖歌隊に取り入れた。「私は信じていますから聞いてください」ではなく、「信じるってすごい!」と言うだけでブログのタイトルじゃないけどアクセス数は変わってくる。信仰を強要する人の中に、『証明』に躍起になっている人はいないだろうか。信じていることの証拠にアレをする、コレをするでは本末転倒である。自分がやりたいことがあるから信じている、という自分主体の信仰の素晴しさもこの映画からビンビン伝わってくる。単純に「音楽は素晴らしい」とか、そういうことではないと思う。だからこの映画の真似事をしてゴスペルとか合唱コンクールでやらせているところを見ると「それは違うよ」と言いたくなる。やらせている時点でソウルがない。やりたくなるくらいに盛り上げないと本当のソウルとは言わない。自分の魂が震えた声がソウルなんだよ(適当)。

 

 デロリスはただやりたいことをやっただけである。でも、その「やりたいことをやる楽しさ」が人々を動かしたのだと思う。「2」はこれを更に複雑化したストーリーになっていて問題提起になっているけれども、自分はシンプルな「1」のほうが好き。あとラストに向けたドタバタも「1」のほうが秀逸。「尼さんは撃てない」は名台詞だと思う。信仰はこんなふうに時には命を救ったりするから宗教は決して無駄なもんでもないと思う。

 

 ちなみにありがたい念仏もきちんと唱えると長いから踊りながら唱えれば楽しいし成仏できるし一石二鳥だわ、というのが念仏踊りの始まりなので、この映画のゴスペルの精神と共通する所が多々あります。日本の伝統芸能も大切にしよう。あと邦題が素晴らしいのでこの文化も大切にしよう。