傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「子宮に沈める」

 誰が悪いと言えばみんなが悪い。

※かなりショッキングな内容ですので精神的に不安定な方はご遠慮ください。

 

子宮に沈める [DVD]

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【あらすじ】

 離婚して、二児の育児をしながら働く女性。次第に子供から心が離れ、彼女は子供をマンションの部屋に閉じ込めて幾日も帰らなかった。3歳と娘と1歳の息子は彼女の帰りを待ち続ける。実際にあった事件を元に作られた作品。

 

 【感想】

 記憶に新しい「大阪二児置き去り事件」などを子供の視点から映画化したのが本作品。正直、見ても面白い物なんて全くないしカメラワークが凝っているとか意外な真実が云々とかそういうのは一切ない。観客はこの事件がどういうものかを知っているのでひたすらかわいそうな子供たちを見続けることしかない。公開当時は映画館に行けたら行きたいと思っているうちに逃していたのだけれど、これ映画館で観なくてよかった。後半が辛すぎる。

 

 映画は幸せだった日々の暮らしのシーンから始まる。そのシーンこそこの映画を観ようと思ってやってきた人に一番問題を投げかけるものだった。母親は確かに献身的に育児を行っていた。いつもやさしくて、家の中が片付いていてきれいな料理があって、お弁当なんてきれいなキャラ弁を作ってしまう。この後どうなるか知っているからこそ、冒頭のキャラ弁のシーンで「もうやめて」と思った人も多いのではないだろうか。

 

 夫と離婚するまで母親の育児は「完璧」でした。ところが一人で二人の子供を育てなければならなくなった彼女の生活に余裕はなくなり、水商売をしている同級生に誘われて夜の仕事に出ることになります。次第に荒れていく家の様子に構わず元気な子供たち。この辺はあくまでも子供の視点でしかなく、母親が何を考えているかは一切明らかにされない。気が付けばチャーハンを山のように作って、母親は子供たちを夏が迫る家の中に置き去りにした。

 

 ここから不憫な子供たちのサバイバルが始まる。お姉ちゃんとは言っても、まだ3歳の女の子が懸命に1歳の弟の面倒を見る。お母さんの真似をしてミルクを挙げようと試みたり、揺り椅子を動かして遊んであげたりするのですが全くうまく行きません。またトイレに繋がるドアも封じられてしまったため、排泄物が散乱する中で生活を余儀なくされます。

 

 次第に忍び寄る飢えにお姉ちゃんも弟のミルクを水に溶かして飲んでしまいます。泣き続ける弟は、次のシーンで全く動かなくなってしまいます。お姉ちゃんは弟が目を覚まさないことを不思議に思いながら砂嵐しか映らないテレビをつけて、粘度で作ったケーキで弟の誕生日を祝います。この「ハッピーバースデー」のシーンはかなり強烈で、もう泣くしかないです。なんでこんなことになったのか。

 

 上手く開けられない果物の缶詰やマヨネーズなどで必死に空腹を紛らわし、外に助けを求めることもうまくいかなかったお姉ちゃんの元に、突然お母さんが帰ってきます。お姉ちゃんは久しぶりにお母さんが帰って来たことに喜びます。ところがおかあさんは淡々と弟の身体についたウジをとり、女の子を風呂場に連れて行って息の根を止めます。弟の顔は新聞紙とガムテープでぐるぐる巻きです。

 

 最後に身ぎれいにした二人に、編みかけの赤いマフラーを巻きます。お母さんは鉤針を自分の膣奥深くへ挿入し、その後血を流しながら風呂場で泣き崩れます。最後に楽しくお弁当を広げたシートで二人の遺体をくるむお母さんでおしまい。

 

 彼女が許されざる罪を負っているのは間違いないのだけれど、彼女がこの道を歩んでしまったのは、本当に彼女の意志だったのだろうか? もちろん答えは「NO」で、まず思い浮かぶのは二児の父でありながら序盤から存在感が一切ない夫の責任もかなり重大です。離婚直前にSOSを発した彼女を冷たく突き放した彼も「監督不行き届き」としか言いようがない。

 

 また、タイトルにもなっている通りこの悲劇は「完璧な母親」からの反動ではないかと言う問題提起にもつながっている。序盤の母親の行動は完璧で、どうしてこのお母さんが子供を殺さなくてはいけないのかと思えるほど「完璧な母親」なのだ。もちろん完璧なんてものは存在しないので、完璧に生きられない彼女は思い通りにならない部分の子供を切り捨てた。そのくらい序盤と終盤の落差がひどい。

 

 どうしてもこれは「現実を直視する」という目的以外で見ると言うことはないでしょう。結局どうすればよかったのか、ということだけが残されて具体的なことは全くない。ただただ考えることしかできない。だけど考えても答えなんて出ないし、人間の心を変えるのはかなり難しい。しかし心と心のポケットに落ちて亡くなる人が少しでも減ればいい。最近流行の過労死自殺の報道も、今は何が悲しいことなのか皆が思い出している時期なのかもしれない。