傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「インサイド・ヘッド」

 これは、少女がちょっぴり大人になるだけの壮大な物語です。

 

 

【あらすじ】

 人間の感情をつかさどるヨロコビ、カナシミ、ムカムカ、イカリ、ビビリの5人は少女ライリーを幸せにするために頭の中に存在します。ヨロコビはライリーに楽しい気分を与え、危険なことや嫌なことから遠ざかるためにムカムカやイカリ、ビビリが存在します。ところが、カナシミだけ何故存在するのかよくわかりません。11歳になったライリーは故郷を離れ、サンフランシスコにやってきますがうまくいかないことだらけ。混乱した感情のうち、ヨロコビとカナシミが司令部から飛び出して迷子になってしまいます。喜びと悲しみを失ったライリーを何とかしようと、残りの感情たちは奮闘し、ヨロコビとカナシミは司令部に戻ろうとします。果たしてライリーはうまく感情を取り戻せるのでしょうか。

 

インサイド・ヘッド オリジナル・サウンドトラック

インサイド・ヘッド オリジナル・サウンドトラック

 

 

【感想(ネタバレなし)】

 はっきり言って、映画の中身はドリカムの前置きなんてどうでもよくなるくらい面白かったです! 恒例短編の南の島のラブソングは『パイナップル・プリンセス』みたいなのを勝手に想像していたら本当に島が歌っていたので擬人化表現を堪能できます。ただドリカムがいろいろ破壊しているので島短編の風評被害が激しいと思う。

 

 本編なのですが、まず設定が面白い。誰にでもあることを面白おかしく表現しているので非常に感情の動きがわかりやすい。そして正直言って脚本にやられました。まさかあそこであれを使ってくるとは!! クライマックスのシーンでは二重にも三重にも張り巡らされた糸がすーっとほどけるように、そして自然に感情が動くのです。人は誰でも基本の感情があって、それぞれが役割を持っているのです。何が欠けてもいけないし、必要とされない悲しみににも大きな役割があるのです。

 

 更にあまり宣伝がされていませんが、ヨロコビとカナシミが迷子になったときに道案内をする「ライリーの空想の友達ビンボン」が非常に重要な役割を果たします。感情だけでなく、子供の頃に誰もが描いた空想の権化まで擬人化して頭の中でいろいろ動き回ります。その行動理念は全て「ライリーを幸せにすること」。それだけのためにいろんな思惑がいろんな行動をとって、非常に愉快なストーリーに仕上がっています。

 

 本作は全体を見れば「新天地になじめないライリーがうまく自分の感情を表現できない」だけというとてもシンプルな話です。「泣かせよう」と思って過剰な演出もおぜん立ても何もありません。だから正直言ってかなり泣けます。まだ小さいお子さんでも「何が悲しいのか」はよくわかりますし、複雑な感情を理解できる大人であれば余計泣けてきます。

 

 泣ける泣けるとばかり言っていますが、コミカルな面もなかなかよかったです。しばしばライリーでない人の頭の中も出てくるのですが、それぞれの人物像に特色があって非常に面白いです。よく見ると小ネタも満載で、基本的に飽きません。夢の仕組みとか潜在意識とかそういう脳の仕組みみたいなものも面白いし、「議論に感情は不要」みたいな人に是非見てほしい映画だと思いました。おススメです。

 

 以下、ガッツリネタバレ考察ですので映画を見た人だけどうぞ。

 

 

 

 

 

【感想(ネタバレあり)】

  この映画をひとことで言い表すなら、架空の友達ビンボンをはじめとする「子供時代の別れ」に尽きるでしょう。ライリーは11歳で、もう「お猿さんキャッキャ」とおふざけをすることもないし、ホッケーの試合で負けたことをただ「よくないこと」として忘れるようなこともない。親に反発も覚えるけど素直に表現できないこともたくさんある。頭の中がたくさん切り替わっていくうちに、無邪気な喜びは忘却の谷に落とされて、深い悲しみから新たな価値観が生まれていく。そんな話だと思った。 

 

 正直、捨てられたロケットが後半であんなに重要な働きをするとは思っていなかったので「やられた!」と思いました。歌っている歌は楽しいのに、画面はちっとも楽しそうじゃないんですよ。それはヨロコビではなく、完全にカナシミの領分でした。そして「ビンボンがいたらライリーはヨロコビを思い出せない」「ビンボンがいないほうがライリーは幸せになれる」と判断して自ら谷に落ちていくビンボンが消えることで、ライリーの無邪気な子供時代が終わったことを象徴していた。これは涙なしには見られない。

 

 そして何よりこの記事を書いている人が感動したのは、「カナシミが必要な理由を一切言語化していない!」ということです。どんなに立派なオチでも「カナシミの役割は~だったのよ」みたいな説明台詞が入ったらその瞬間「これは映画のお話だったのよ」と一気にメタ化してしまうと思っていたのですが、その心配をよそにしっかりと話の運びだけでカナシミの役割を「説明」ではなく「表現」していました。特にカナシミが活躍するシーンは誰にも覚えのある感情であったと思うので大人なら沁みるモノがあったんじゃないかと思います。

 

 一応カナシミの必要性を言語化しておくと、「ヨロコビの裏返しの感情」ということです。そして忘却の谷に落とされた記憶も、楽しいものはどんどん忘れて行ってしまうのにカナシミの記憶は鮮明に青い輝きを放っていました。悲しいことはなかなか忘れないものです。悲しみの感情を素直に表現したことで両親に受け入れられたライリーは、悲しみと喜びの混ざった複雑な感情を持ち、かけがえのない新たな「性格の島」を作り出します。悲しみだけでもいけませんが、喜びだけでもよくないのです。

 

 物語全般にわたってヨロコビはカナシミを受け入れず「ポジティブ最高!」という価値観で行動しますが、時にそれはカナシミの否定になってしまいます。何でもポジティブならいいのか、というとそうでもなくて「都合の悪いことは見ない」ということになってしまいます。普段はビビリたちが担当している「都合の悪いことの処理」がヨロコビにはできないのです。更にカナシミを完全に拒絶したばかりにヨロコビは忘却の谷に落ちてしまいます。そこで悲しみに触れて、ヨロコビは悲しみます。ロケットを谷に落とされて悲しむビンボンにカナシミが寄り添ったことでビンボンが前を向くことができたように、ヨロコビも悲しみに触れたことで前を向くことが出来ました。ポジティブな感情の前には多少のネガティブな感情が必要なのです。辛いから前を向く、嫌なことがあるけど楽しいこともあるから頑張れる、全ては表裏一体なのです。原題は『Inside Out(裏返し)』ということで、この喜びと悲しみの関係をストレートに表現しています。

 

 他にも小ネタが満載なのがよかったです。意味もなく何故か繰り返し流されるガムのCMソング、パパの頭の中とママの頭の中の違い、ライリーに声をかけられた男の子の頭の中のパニック具合。特にライリーを心配するママの合図を余所に脳内でサッカーのことを思い出しているパパの頭の中がいかにも「あるある」で面白かったです。

 

 物語の納め方は正直かなりの力技でしたが、メッセージが無理なくダイレクトに伝わってきたのでよかったです。たまには悲しみをしっかり表現しないと、喜びも感じることができないってことですよね。しっかり悲しんでいこうと思いました、おわり。