傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「ジュマンジ」

 誰だよこんなクソゲー作った奴!

【あらすじ】

 1969年、アラン少年は古いボードゲームジュマンジ」を工事現場で見つける。父親と喧嘩をし、家出をしようとしたところでガールフレンドのサラがやってきて、ゲームを始めることにする。ところがサイコロを振るたびにおかしなことが起こり、アランはゲームの中に吸い込まれてしまう。驚いたサラは逃げ出し、アランは行方不明のまま時が過ぎた。26年後、両親を亡くして叔母に引き取られたジュディとピーターの兄弟は引っ越してきた家の屋根裏でアランが吸い込まれた「ジュマンジ」を発見し、サイコロが再び振られた。

【感想】

 子供向けだと思ってバカにしちゃいけないね。これはいいファミリー映画。最初の親子の擦れ違いからのジュマンジを始めるまでの流れのいじけっぷりが面白い。そんで、ジュマンジ再開までの流れも面白い。子供の好奇心が純粋なのも話を強引に続けるためなんだろうな。

 この映画は公開当時最新技術だのVFXだのなんだの騒がれていたけれど、今となっては「昔はこんなんだったねぇ」という感じだ。映像技術の進化をしみじみと感じられるものです。

D
 
 ジュマンジが面白いところは、「誰が何のために作ったゲームかわからない」というところもあります。異世界に吸い込まれて、次に誰かが特定の目を出すまでジャングルで彷徨うなんてどう考えても「遊び」の範疇を越えています。元々はゲームではなく、何らかの儀式のものだったんでしょうか。昔はスポーツやゲームの高揚感を神に捧げるなんてこともありましたから、このゲームもそういうものの一環として作られた特殊な神器だったのかもしれません、という勝手な想像です。この段落は大体嘘です。

 そんで、ゲームのせいで精神がおかしくなったサラと26年ジャングルで過ごしたアラン少年。「見た目は大人、中身は子供!」をリアルに再現しているあたりが薄ら寒いです。それから両親を事故で無くした夢見がちな姉と寡黙な弟。全員が何かが欠けている状態で進むゲームは何か試練を乗り越えて大人になるという通過儀礼のような感じがして、さっきの勝手な想像もあながち間違いじゃないかもしれません。

 それから、ジュマンジの冒険もこの映画の一番の見どころなんですが実は話の軸は「アランの親子関係」にある。もともとアランと父親の確執が最初の話のきっかけで、ジュマンジのゲーム内で父親が「ヴァンペルト」というキャラクターでアランvs父親の構図をキレイに書いています。最初はただ父親に反抗ばかりするだけなんだけど、「ヴァンペルト」という仮想父との戦いで少年が父を乗り越えていくと言う過程が面白い。単純冒険ものと見てもいいけれど、自分はこういうエディプス・コンプレックスもの弱いんだよね。うーん、スバラシイ。

 全体的に冒険活劇として本当に楽しいです。そして、少年の成長の様子がツボに入るとたまりません。今の時代に多少映像がしょぼくなった気がしても、家族そろってみるのがちょうどいい映画かもしれません。