傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「真夜中のカーボーイ」

 昼間は無職の田舎者! 真夜中はアッチだけカウボーイ!

 

 

 

【あらすじ】

 テキサス生まれのジョーはお気に入りのカウボーイスタイルで着のみ着のままニューヨークにやってきた。生計の手段は金持ちの女性に買われることで何とかしようと考えていたが、なかなかうまくいかない。リコという片足が不自由な浮浪者にプロデューサーを紹介をしてもらうが、それは嘘だった。金も行く場所も無くしたジョーはリコの住む廃墟ビルに転がり込み、夢のためにニューヨークを這いずりまわる。

 

【感想】

 自分には「ほーい、サーボテーン、みーどりーのひーかり♪」のイメージのが強いです。

D

 

 このPVの少年がちょっとかわいくて好きなんだけど。ずっと「真夜中のカーボーイ」って「荒野が舞台のこんな映画を見た!」にかかっていると思っていたから、西部の荒野をずっと期待していたのですが荒野は出てこなかったです。

 典型的アメリカン・ニューシネマですね。夢いっぱいの若者が都会で夢破れると言う見ていて気持ちのいい典型です。テキサス生まれのジョーの「ニューヨークで女に買ってもらって暮らす」という現実味のないアメリカンドリームを夢見て大都会に単身やってきたのですが、そりゃあうまく行くわけがない。というよりも、ジョーはどう見ても田舎者だ。「これが俺のポリシーだ」というダサイカウボーイファッションに土臭い行動。洗練された都会の女からすれば「何この痛い人」というところだ。

 最初は女性に買ってもらった気がしてきたんだけど、「私をお金目当ての女だと思ったの!?」とうまく行かない。そのあと知り合ったリコからはホモ親父に売られかける。どうやらジョーは過去に性的虐待だったり何かのトラウマがある模様。有り金をリコにとられ、ホテルも追い出されてほぼ一文無しになるジョー。そこからリコと二人三脚で暮らしていくんだけど、生活のどん詰まり感が悲壮すぎて大変。リコ役のダフティ・ホフマンの途中で出てくる「お金がたまったらフロリダに行くんだ」という夢想している顔が痛々しくてつらい。

 最終的に金も当てもなくリコの病気が悪化していく中で、なんとかパトロンになってくれそうな女性を見つけるけれども、リコが倒れてしまう。ジョーはホモのおっさんに体を売ることを持ちかけて金を強奪し、フロリダ行きの長距離バスに乗る。ジョーはそれまで来ていたカウボーイの服を捨て、リコと共に真面目に生きていこうとするが、リコはほとんど虫の息で、バスの中で力尽きてしまう。

 結局ジョーの性的なトラウマやリコの過去などは何かあるのだろうと暗示はされまくるけれど一切説明らしいものはされない。事実を淡々と描いているようで想像の余地を残しているあたり、趣がある。また、都会に拒絶された二人の男性と言うモチーフが、夢だけではどうにもならないという悲しい現実を描いていて、あの時代のアメリカの成長しきれない部分がうまく出ているなあと思った、というかコレ現代の日本でもありそうだなと思った。アメリカン・ニューシネマが通用する時代になってしまったのかな日本は。


 ちなみに「カーボーイ」は誤植ではなく「カウボーイと車(car)をかけて都会に生きる男っぽくしよう」という水野晴郎の提案らしい。ちょっと滑っている気がしないでもないし、やっぱり洗練されたセンスは難しいんだな。