傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「ハッピー・デス・デイ」

死んだら生きろ。

 


【あらすじ】

自暴自棄に生きているツリーは知らない男のベッドで目を覚ます。誕生日だというのにあまり面白いことは無い。しかし一日の終わりに、怪しい仮面の人物に殺害されてしまう。すると再びベッドの上にいた。ツリーは何度も殺害されては誕生日を繰り返すことで犯人を探し出すことになる。


【感想】

絶対ポスターで損してると思った。
なにこれめちゃくちゃ面白いやん。


最初は仮面の人物から逃げ切る系の映画だと思ってたんだけど、実際は真面目にループものでループから逃れるためにどうするかという話になってくる。つまりはSFなんだけど、ちょいスプラッタ要素ありの基本コメディになってる。このコメディ要素が本当に面白くて、個人的に「温暖化の女」がすごく好き。彼女がこの映画の天丼要因であり癒しである。


何より脚本と人物設定がすごくしっかりしていると思った。ループものなのでいろんな人にあっていろんなフラグを立てていくパートなんかはしっかり人物像を作らないとやっていけないだろう。そこでツリーの生い立ちから他の人物との関係性が少しづつ観客に提示されていって、最終的に大団円となるわけで。


映画を見ていて「面白いな」と思う瞬間って、予想外の展開にびっくりするのもそうだけど、「こうなるだろうな」と思われることがそのまま行われるのも結構気持ちがいいものである。観客はこの映画がループものであることを知っているから、序盤の構内ラッシュが非常に楽しい。温暖化女に故障するスプリンクラー、倒れるアメフト部員。わざとらしく散りばめている伏線をどう回収していくかというワクワクさがこの映画にはとっても多い。上質なノベルゲームを遊んでいる感覚だ。


しかしツリーをとりまく環境はあまりにもひどい。特に教授が最低だ。その中で唯一親切なのがカーターで、これはカーター惚れるやんとは思う。二人がどんどん仲良くなっていくのも素直に応援したくなる要因だし、ラスボスっぽいのが見えていくのもわかりやすい。この映画、結構複雑な話をしているはずなんだけど話が結構わかりやすい。そこがとってもいい。


話の一本筋として「ツリーが母親の死と向き合うことで成長する」というものがあって、自暴自棄になっているのも母親が死んでやさぐれているからで、全ての引き金が母親の死にあった。そこでやさぐれるのをやめて、真面目に生き直したらどうなるかというのが実は隠れた本筋だった。不倫をやめて人に親切にして、父親とのランチにしっかり参加する。それでもループが起こった時の絶望は計り知れない。そういえば昔堂本剛主演で似たようなループものの「君といた未来のために」というドラマでも同じようなシーンがあった。なんやかんやで親友の自殺を防いで諸問題をループ能力によって解決してめでたしめでたしと思ったら、全てリセットして最初の朝に戻る。この絶望ね。個人的にこの演出が子供心にかなり衝撃だった。ループもので絶対やりたいパートだよね。あと中盤の総当り戦で「All You Need Is Kill」かな?と思うくらいバンバン死んでいくのはちょっと面白かった。これもループものの醍醐味。


真犯人がわかってめでたしめでたしになるんだけど、実はこれを書いている時点で2を見てしまっているので「まだ終わんないんだよねえ」と思ってしまう。2も傑作だからみんなで見ようハピですでい。おわり。

 

感想「オーディション」

キリキリキリキリじんじん、キリキリじんじんじん

 

 

あらすじ

10年前に妻を亡くした青山は、映画のオーディションにかこつけて嫁探しをする。応募してきた女性の中から、麻美という美しい女性に惹かれる。

 

 

感想

大変お久しぶりです。この数年「映画が見れない」「見れても感想をまとめる余裕がない」という状況が続いていましたが、状況が良くなってきたのでまた書いていこうと思います。よろしくお願いします。

 

というわけで「クソ痛い」と評判のオーディションなのですが、いろいろながら見しながらだったので没入感がなく「あー痛そう」くらいの感想なのですが、映画館とかで見るとかなりキツいだろうなとは思います。

 

物語の話になると妻を亡くした青山に「嫁さん候補」としてオーディションを開催するのだけど、そこで引っかかった人物がやべぇ奴だったという結構単純な話。確かに下心とかはあって100%善人とは思えないんだけど、それにしたってこの仕打ちはないだろうとは思う。物語の途中でじわじわと「麻美やばいから逃げて!」という感じが伝わってくるのに未練がましく追いかけるのが敗因といえば敗因、なのだけどそれにしても、うーん……。

 

個人的には「お仕置だべえ」のシーンでもうひとつ盛り上がるところがあっても良かったかなと思う。あの袋男のシーンとかもう少し見たかったな……ともあれ、ラストは「息子助かってよかった!」でハッピーエンドなのでなんか不気味なんですがはよ警察に行けとしか思いませんでした。もし家の中に不審者がいたら家からすぐ脱出して近隣に助けを求めることですね。防犯意識も高めていこう。おしまい。

 

お知らせ

お久しぶりです。

 

先日「もう更新しないのですか」というコメントを頂き、申し訳なく思っているところです。

 

元々このブログは「映画を見た個人的なメモ  」というスタンスで始めました。なるべく他の感想や評判に引きずられず、自分の中だけで一度咀嚼してから改めて他の評判はどうかというスタイルでやってまいりました。つまり記事を書くのにそれなりに気力が必要だったのです。

 

しかし約2年前の記事の更新を最後に全く音沙汰無しにしてしまい、誠に申し訳ないことです。更新できなかった理由はいくつかあるのですが、まず「映画を見ていない」からです。生活環境の激変によりここ2年でちゃんと見た新規の映画は多分10本あるかないかです。その上感想を書く気力もなく、見た箇条書き程度のメモはあれど、まとめる気力もなく……と言ったところです。

 

現在は当時よりも少し落ち着き、このバラバラのメモを何とかしたいと思っていたところです。ゆっくりと編集してまた記事を書いていきたいと思っています。

 

ただ新規の映画の鑑賞は依然難しい状態が続いています。代わりに「映画やアニメ、ドラマ」をテーマにしたエッセイ記事やオススメランキングみたいなのを書きたいなとぼんやり考えていますが、ぼんやりしているところなので期待しないで待っていてほしいです。何となく「抱き合わせで見たい映画、見たくない映画」という企画を考えています。過去やっちまった最悪な組み合わせの映画をいくつか紹介したいです。

 

そんな感じで新年度明けくらいから再開したいと思います。更新頻度もかなり下がると思いますが、ご了承ください。

よろしくお願いします。

感想「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」

冷蔵庫入るよりよっぽどマシだと思う。

 

シェフ 三ツ星フードトラック始めました (字幕版)

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  • 発売日: 2015/05/13
  • メディア: Prime Video
 


【あらすじ】

雇われシェフのカールはネットの評論家とのトラブルでレストランをクビになる。全てをなくしてマイアミに来たカールはフードトラックを購入し、元同僚のマーヴィンと息子のパーシーと共にフードトラックでキューバサンドを売り歩く旅に出る。

 

【感想】

なんか評判なのでずっと見たかった映画。思いのほか軽い感じの映画で気軽に見ることができた。それに「ネットでの炎上」「父子映画」「SNSマーケティング」など自分の好きな要素がたくさんあって面白かった。もっと早く見ればよかった。


この映画のポイントは、序盤のネット炎上のパートがきちんと後半の伏線になってると言うところだと思った。評論家に噛みつき炎上しているのだが、その実際は非難の的というより「おもしろおもちゃおじさん」として消費されたイメージに近い。あんなんYouTubeにアップされた日には現代日本だったら一発でフリー素材として活用されそう。


そんで職を無くしたカールはいろいろあって心機一転フードワゴンでキューバサンドを売りながら再起を図るのだけど、ここから先は完全にサクセスストーリーで気持ちがよすぎる。気持ち良すぎてちょっと不安になる。「世の中そう上手くいくかよ」という気分にもなるけど、前半で盛大に炎上したことが伏線になっていて「炎上で注目を浴びる→そこに実力が公開されて良い宣伝になる」というコンボが効いている。無駄に炎上していなかったのがよかった。


とはいえ、職場を蹴って着いてきてくれる超有能な後輩と宣伝能力がチートな息子とめちゃくちゃキレイな元妻に何故か諸々理解のある元妻の元旦那とかトントンすぎる物語に物足りなさがあるのは否めない。これは物語を楽しむ映画ではなく、ただチートフードワゴンとメシを楽しむ映画なのだ。


邦画のメシ映画といえば思いつくのが「南極料理人」とか「深夜食堂」で、どちらもメシ要素に加えてどちらかと言うとしんみりテイストがあった。「かもめ食堂」もそっちサイドに近い。ところがこの映画はしんみりどころか「超ハッピーめでたしめでたし!」というテンションで突っ走る。途中の父子vineで泣けるけど、あれはしんみりとは違う。ハッピーエンドのための繋ぎだ。


とりあえず「ネット炎上」「父子」「メシ」という要素を明るくまとめた感じの映画で、真面目に見たら「こんな空っぽの映画けしからん」と思うかもしれない。しかしこの映画は空っぽでいいのだと思う。空っぽだからこそメシが美味そうに見える。正直飯テロ度は相当高いのでお腹がすいているときには推奨出来ません。出来れば何かを食べながら見たい映画だ。それこそキューバサンドとか。おしまい。

 

感想「さらば、わが愛 覇王別姫」

散ることもまた美しくありたい。

 

 

さらば、わが愛 覇王別姫(字幕版)

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  • 発売日: 2015/11/15
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【あらすじ】

1920年代、娼婦の子供が京劇の養成所に売られる。小豆子と呼ばれた子供は兄貴分の小石頭と共に「覇王別姫」の項羽役と虞姫役を演じるようになる。成長して程蝶衣と段小楼と名乗るようになった彼らは日本軍の占領、中華人民共和国の建国、文化大革命など時代の荒波に飲まれていく。


【感想】

随分間が空いてしまいまして申し訳ない。2020年は生活環境がまた変わって更新が出来るかどうかよくわからないので適当に付き合って貰えたらと思います。


さて、今更ですが2020年最初の感想は「さらばわが愛、覇王別姫」です。この映画、京劇の愛憎劇みたいな話だと聞いていたので勝手に「覇王別姫の舞台に立つ役者達が役を奪い合うメロドラマ」みたいなのを想像していました。メロドラマには違いないのですが、方向性が全然違いましたね。びっくりでした。ごめんなさい。


そんなわけで最初の幼少期のシーンはもう衝撃以外の何物でもありませんでした。「そっか京劇も女役か」とか「見世物小屋か」とか「指が……」とか、衝撃を受けている間にこの映画最大の衝撃の幼少期クライマックスが待っていました。


確かに「同性愛の話だ」とか「時代の激流に翻弄される役者の話だ」とかそういうのも衝撃なのですが、この映画のひとつの山場はやはり小癩子の最期にあると思うのです。出来が悪く逃亡も企てる小癩子と頼りになる先輩の小石頭に虐められる小豆子。ある日「サンザシの飴がけが食べたい、あれを食べると何も怖いものは無い」と脱走した小癩子とそれについて行った小豆子。たまたま売れっ子の役者の舞台を見て感動する二人。小豆子はただ涙を流すだけなんだけど、小癩子は「何度打たれたらあんなに素晴らしい芸ができるのか」と単に芸に泣いているわけではない。結局養成所に戻ると2人を見逃したとして全員が折檻を受けていた。小豆子はそこに飛び込んで「皆は悪くない、逃げた私をぶって下さい」とひどい折檻をを受ける。その様子を見た小癩子は持っていたサンザシの飴がけを口いっぱい頬張る。次のシーンでは、彼は自ら命を絶っていた。


とても象徴的で短いシーンなんだけど、ここの小癩子の心持ちを考えると本当に深い。あそこでサンザシを口いっぱい頬張る小癩子に「稽古や折檻の過酷さに絶望したから」という理由を宛てがうのは薄い気がする。思うに、彼は小豆子を助けたかったのではないだろうか。絶望もあるけど、ここで騒ぎを起こすことで小豆子の折檻を有耶無耶にしようとしたのではないかと考える。あの頬張るシーン、「怖いものはない」と言う言葉が響いてもうそれだけで涙が出る。小癩子よ、安らかに。


それからも辛いシーンが連続する。小豆子が自身の性を完全に倒錯せざるを得ないシーンはわかっていても辛い。「そういうもの」だったのだろうと考える。でも辛い。ある意味吹っ切れたことで彼の芸は素晴らしくなったんだろうけど、大切なものも失ってしまった。何回も叩かれるより辛いことだったろうな。


成長して程蝶衣、段小楼としてスターになってからも辛いシーンは続く。女性として小楼を慕う蝶衣は小楼が菊仙と結婚することがとにかく面白くない。それで関係はこじれるけど、かつての師匠の取り無しで再び舞台に立つことに。しかし時代は第二次大戦後、共産主義の時代がやってきていた。


紆余曲折ありながらも京劇の舞台に立ち続けてきた二人に残酷な仕打ちが次々と降りかかる。「労働者のための京劇」として改革が次々と行われ、かつての名優は古い考えの悪人と認識されてしまう。特に目にかけていた孤児小四が蝶衣を蹴落として虞姫役を得た時に菊仙だけが蝶衣を気にかけていたのは本当にやるせなかった。


そして迎えた文化大革命の日。京劇は人々を堕落させる悪として激しく弾圧される。自己批判を強要された小楼は菊仙の過去や蝶衣の過去について話してしまう。負けずに蝶衣も小楼の過去をぶちまける。そして菊仙に対して小楼は「愛していない」と言ってしまう。このシーンのためにここまでの長い話があったのかというくらいこのクライマックスが凄まじい。京劇に生きるしか無かった二人が自身の人生を否定され、それを公の場で罵られながら発言しなければならないことの残酷さに巻き込まれる菊仙。その後、彼女は言葉もなく自ら命を絶ってしまう。そこにサンザシを口いっぱい頬張って死んで行った小癩子が重なる。京劇のそばにいながら染まることの出来なかった者の末路がリフレインされる。


文革の時代が終わり、久しぶりに公演が行われるということで呼び戻された蝶衣と小楼の小さなリハーサルで幕が降りる。蝶衣は虞姫として、そのまま舞台上で命を絶つ。小楼は咄嗟に「小豆」と蝶衣の昔の名前を呼び、二人のただならぬ因縁を再度観客に示して終劇。こんなん泣くしかない。結局蝶衣は京劇の世界でしか生きることができなくて、それ故に京劇の中の愛する男の前で自己を完結させていく。


さらば、わが愛」は蝶衣から小楼へ、菊仙から小楼へ、そして蝶衣から京劇への愛なのかもしれない。全てに「覇王別姫」の筋が響いてくるのが更に愛おしく、狂おしいほど切ない。3時間があっという間のすごい映画だった。「なんとなく」で見る映画ではなかった。今度は覚悟してもう一度見よう。おしまい。