傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「ピノッキオ」

オッサンでもピノキオになれるんや!

 

ピノッキオ [DVD]

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【あらすじ】

暴れん坊の丸太を元に作られた人形、ピノッキオはいたずらが好きで、父親のジェペットを困らせていた。学校に通うという約束を忘れて遊び、失敗ばかりする。そんなピノッキオを見かねた妖精は彼を助け、嘘を着くと鼻が伸びるようにする。そして人形ではなく本当の子供にすると約束する。


【感想】

この映画、ずーっと昔に昼間テレビでやってた何かで最後のほうをちらっと見た記憶があって、いつか全部みたいと思っていたのが何とか念願叶いました。そういうわけで結構懐かしバイアスかかった記事になってます。


最後まで違和感なく見れたのはそういう「前情報」があったからなんでしょう。でもなんにも知らなくて「わーいピノキオの映画だー」って無邪気に見始めたら、間違いなく「何でピノキオがオッサンなの!?」ってなるだろうな。なっちゃたら、もう見てられないだろうな。うーん、難しい。


しかし、ピノッキオが「かわいくない」というのはある意味「ピノッキオの冒険」という物語では非常に大事な要素だと思うのね。子供だから「かわいい」で許されるところをオッサンが全身全霊でいたずらしてるから全くかわいくない。そもそも原作自体はどちらかというと残酷だし、ディズニー版では適当にやってるところも本作ではしっかりやっているのでそこを見るのがこの映画の大前提だと思う。


そもそも「ピノッキオの大冒険」自体風刺が強くて、「悪人は裁かれる」というものではなく「悪人もいるから騙されないようになれ」というのがメインテーマだと思う。善悪の判断ができない人形がいいように騙されたり、不良に入れあげちゃったりするのが本当にリアルでちょっと怖い。特にこの映画のルシーニョロの扱いがかなりリアル。そこを踏まえるだけでもこの映画の価値はあると思う。


そしてルシーニョロを加えることでロベルト・ベニーニピノッキオを演じる意味が出てくると思った。この映画は子供のピノッキオではダメというか、ルシーニョロを子供が演じるのはかなり辛いものがあると思う。


このルシーニョロ、劣等生で盗みなどを繰り返す典型的な不良で牢屋でピノッキオと出会って意気投合する。この意気投合のシーンがめちゃくちゃリアルで胃が痛くなる。善悪の判断がつかない人間が不良に感化されるシーン、めちゃくちゃ怖い。子供だと「子供だから」で終わっちゃうけど、大人が演じることでその生々しさがぞわぞわ滲み出てくる。


最終的にルシーニョロは誰にも助けられず、ロバの姿のままピノッキオに看取られる。この救いのなさったらなんとも言えない。「悪いことをしたらロバになっちゃいますよ」って、もうそういう小言をリアルでやっちゃったらこうなるって感じ。もう辛い。おもちゃの国行きの馬車に乗った時点でこうなることはわかっていたけど、それでも辛い。どうすれば彼を助けることができるのだろう。多分現代になっても誰も助けてくれない。子供は可愛くないと救済リストに入らない。可愛くないクソガキは救われない。辛い。


その辺も大人が演じていることで「これはお話ですよ」という了解が暗黙のうちに生じて、安心して映画を見ていられる。これがリアルな浮浪児っぽいのがやってたら滅茶苦茶辛い奴じゃん。なんでもリアルにすりゃあいいってもんでもない。解像度が低い映像のほうがある意味都合がいいってこともある。


全体的にコンテクストが貼られた演劇テイストの作品なのでそういうのに慣れていないと「オッサンが!」になっちゃうけど、オッサンはオッサンでピノッキオになったっていいと思った。プリンセスにでもプリキュアにでもなったっていいじゃない、オッサンだもの。


今回見て思ったのが、何となく発達障害の子供を持つ親が見たらちょっと辛いのかもしれないなぁということ。善悪の判断が付きにくく、常に動き回っていて興味のあることに全力で向かって行き、後で反省しても繰り返してしまう。それを「親のせいだ」とバッサリやるからなぁ。


そういえばディズニーの実写映画でピノキオをやろうとしているらしいけど、アナ雪の実績からこれはもう原作とは一体何だ、という超新感覚アドベンチャーになるしかないと割り切っているのである意味楽しみです。だって今のご時世、「騙される方が悪いんだ」なんてメッセージ、かなり無理。そこをどう改変してくるかで世界をどうしたいのかがわかると思う。無理矢理父子ものにしようとしてるけど、かなりキツイぞ。あっ、これジェペットメインでピノキオを我が子と認めるかどうかとかで悶々とする奴でしょ。あんまり期待しないんだからね! (ダンボで期待しすぎた人より)。