傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「僕だけがいない街」

 その事実を変えるなんてとんでもない。

 

僕だけがいない街

僕だけがいない街

 

 

【あらすじ】

 売れない漫画家の藤沼悟は何かまずいことがあったときに過去に戻れる「リバイバル」という能力を持っていた。上京してきた母の佐知子と話をしているうちに、悟が小学生のころ子供の誘拐連続殺人事件が起こっていたことを思い出す。その件で佐知子が何かを察知したが、真犯人と思われる人物に殺されてしまう。佐知子殺しの犯人として疑われた悟は「リバイバル」の能力で小学生時代に戻り、誘拐連続事件の被害者になるはずの同級生の雛月加代を救うことになる。

 

【感想】

 うーん……。

 

 原作読んでなくてアニメ版しか見てないんだけど、うーん……。

 

 途中までは「おお、頑張って実写化してるじゃん」って思ってたんだよ。昭和の末期のあの北海道の感じとか結構難しいところもあったけど、ちゃんと寒そうだし端折るところも過不足なく端折っている感じがして「2時間にまとめようとしているな」と思いました。途中までは好印象だったんですよ、途中までは……。

 

 雲行きが怪しくなってきたのは悟が真犯人に車で落とされるところあたりから。とりあえずアニメ版では抵抗できない状況で車ごと沈められていたのに対して、映画版ではそもそもなんでノコノコ車に乗っていろいろ話したのかよくわからないし橋から落とされた後の世界がどうなったのかよくわからなくて、大人悟が目覚めた世界ではあの後の話が一切なくて、「あぁもう」という感じになっています。

 

 そして何故かまた真犯人と対決し、そのまま倒れてしまう悟。「えぇー」と思いつつ、画面を見守るが悟の復活はなく、そのまま10年後に「これで僕だけがいない街になった……」と悟の墓参りに訪れる面々でエンド。無情に流れるスタッフロール。「えぇー」「えぇー」「えぇー」と三回くらいため息をつく。そして何とも言えないモヤモヤが心に残る。

 

 いやね、原作とラストを改変して鬱エンドにして大成功した作品もあるよ。例えば『ミスト』とか。でもミストはレジェンドなわけだよ。46歳で現役でオリンピック出場とかしてるわけですよ。それにラストの改変も途中の伏線をうまく使っていて違和感もないわけですよ。だからあんなに大人気なわけじゃないですか。

 

 それがこの『僕だけがいない街』で、やっぱり最後に主人公を殺す理由が全くわからないっていうのがありまして。元から主人公が死ぬエンドで生還ルートを作ろう、というのなら話はわかる。でも死ぬ予定のない人間をメディアミックスで殺すって言うのはやっぱりどうも納得がいかない。しかも主人公。死ぬ必然性が物語から漂ってこないのに死んじゃって「可哀想エンド」を狙って行ったのかもしれない。それなら前半に主人公の死亡フラグもちゃんとオリジナル設定で盛り込んでおいてよ……人を脚本の中で殺すのはやっぱり難しいね。

 

 そんなわけで、この作品を楽しむには原作またはアニメで十分かと思います。藤原達也が見たい人は見ても損はないかな、という感じです。この改変、久しぶりに納得できないレベルだったなぁ。大抵のことには驚かないけど。