傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「キャリー」

 本当に恐ろしいのは母ちゃん。

 

 

【あらすじ】

 狂信的にキリスト教を信仰している母親のもとで育てられた女子高生キャリーは初潮を迎えたことでパニックに陥り、クラスメイトに散々にいじめられる。その場は体育教師によっておさめられ、いじめっ子たちはプロム参加禁止か体育の居残り授業を言い渡されてキャリーに対して逆恨みの感情を持つ。一方キャリーを憐れむクラスメイトによって、キャリーはプロムに誘われる。

 

 【感想】

 この映画の主役は紛れもなくキャリーなのですが、それと同じくらいこの映画のキーパーソンは彼女の母親マーガレットです。後半のイヤボーン(専門用語)したキャリーが怖いのはもちろんとして、同時に狂信的なマーガレットの言動もイチイチ怖いのです。月経が来たら「ビッチ!男をたぶらかす!」って、アンタいい年して円盤を叩き壊すような処女厨じゃああるまいし……という感じです。おお怖い。

 

 最近はやりの「毒親」という概念がこの当時あったかどうかわかりませんが、マーガレットは間違いなく「毒親乙」で片付く母親です。思い通りにならないと暴れたり脅したりして娘を不安に陥れ、そして外出や服装も厳しく制限したりと完全に支配下に置こうとしています。宗教に対して狂信的と言える態度も周囲から遠巻きにされるレベルのものであり、何とも哀れな感じが漂っています。

 

 ただ、彼女を一方的に悪者にすることもできないなぁと作中でちらりと見せる彼女の弱さを見て思いました。宗教にすがるのも、娘を束縛するのもすべてマーガレットの不安な気持ちからきているのだろうと推測されます。男に裏切られた経験から全てのものに疑いを持ち、信頼できる神だけを信じて信じて信じた結果、取り返しのつかないことになってしまったんだと思います。結局悪いのはいつの時代も男か……?

 

 とはいえ、同情できる部分があるからと言って彼女のやったことは到底擁護できないし、いじめっ子たちがやったこともどの時代から見てもドン引きするレベルで最低です。それに同情心からだとしてもキャリーを無理にプロムに誘うというのも正直どうかなぁとは思います。そんな周囲の空回りとか悪意に一人で耐えたキャリーだからこそ、クライマックスからの「やっておしまい!」感はちょっとカタルシスです。

 

 最後のキャリーは怖いというより、母親と自分自身の境目がなくなっていてかわいそうでした。母親を殺すということは自分自身を殺すことに他ならないわけで、キャリーも後を追うことになります。こう考えると「父親殺し」はアイデンティティの確立で、「母親殺し」はアイデンティティの否定になるのかなぁ。そんなことを父子ものと母子ものの違いで考えた。おしまい。