傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「デビルマン」

 裏切り者の名を受けて全てを捨てて公開された映画。

 

デビルマン

デビルマン

 

 

【あらすじ】

 不動明はひょんなことから親友の飛鳥了の手引きでデビルマンになる。そして幼馴染の美樹や世界を救うためになんか頑張る。

 

 【感想】

  人の世に愛はない。人の世に夢もない。

 この美しいものを破壊しただけ。

 

 低クオリティで評判だということは聞いていた。それにしても、ここまでひどいとは思わなかった。正直、最近のコスプレ実写化のほうがまだマシというレベルで「デビルマンを見たら他の映画がとてもよく見える」というのが何の誇張でもないことを思い知った。ひどい。ひどすぎる。

 

 何がひどいかって、もうそれは「役者の演技」に尽きる。教育テレビに出ている未就学児だってもう少しマトモな演技をするだろうというクオリティ。中学生の演劇部にやらせたほうがよい仕上がり。「棒読み」とか「棒演技」とか、そういうレベルじゃない。イメージとすれば「ここに不動明がいるイメージとして、代わりにその辺の人立って台詞読んでください」みたいなそんな感じ。そんで通行人Aが「俺っすか?」みたいな感じで小学校の学芸会を思い出して台詞読んでみましたっていうところ。心に残っているのは「今からアクションシーンだぜ!」という場面でジャンプするシーンで全然ジャンプできていなかったところ。小学生が朝礼台から「とぉっ」って飛び降りるようなモーションでアクションとか言われても笑うしかないです。

 

 脚本がギッチギチになるのは仕方ない。だけど、シーンの演出はその制約を受けない。役者がヘボなら演出もヘボで、バイクで海岸線を疾走するシーンから次のカットでいきなり学校の校庭に到着するシーンは切り替えが下手すぎて「中学生の動画編集でももう少しマシなカットになるのでは……」と呆れすぎて笑ってしまった。そうか、これはそうやって観る映画なのか。金を払って見るものじゃないな!

 

 役者の演技もとにかく最低レベルでひどいんだけど、大事なのは全体の構成以外の何物でもなくて、この映画はそこが破滅的にダメだった。カットからひしひしと「行き当たりばったり」感が伝わってくる。「とりあえずシレーヌ出しとけばいいだろう」「とりあえずなんか深刻っぽくしておこうか」「とりあえず生首は必須だろ」「とりあえず」「とりあえず」というのはもう伝わってくる。製作者の中で『デビルマン』に愛のあった人はいないのだろうか。大人の事情とか関係ない。もう永井豪に謝ったほうがいい。

 

 それから唐突に出てくるカメオ出演の芸能人は一体何だったんだろう。いきなり小林幸子が出てきたり、何故か小錦が銃で撃たれていたり、ボブ・サップが分裂したり……分裂したのは少し面白かったぞ。「余計な演出」というものの好例になったと思う。

 

 唯一の救いは本編と関係ない子が一番演技していたこと。それ以外のひどいのは何か記憶に残しておきたくない。しかし、アウシュビッツのようにこの惨劇を後世まで語り継がなければならないという義務感も生まれるすごい作品。これは邦画史に残す作品。ヒロシマナガサキデビルマンとして人類は忘れてはならない平和の灯を絶やしてはいけない。そんなレベルのアレ。

 

 ここまで言っても細部は言い足りないくらいアレでアレなのでアレな体験をしたい人は見てもいいんじゃないかな。正直、これを観てから映画そのものに対するモチベーションがかなり下がったのは事実。誰も幸福にしない映画。製作費の壮大な無駄。きっとこれは悪い夢だったんだ。それか、本当に守りたかった「デビルマン」とは、この程度のものだったのだ……きっとそうだ。悪魔のバカ野郎。