傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「ゴジラ」

 シン・ゴジラに向けてオリジナルの予習です。

 

 

【あらすじ】

 原因不明の船舶の遭難事故が続いた。生存者の話によると「海が爆発した」と言う。更に現場から近くの島で未曾有の大災害が起きた。「巨大な生物だった」という目撃情報を元に調査をすると、現れたのは太古に絶滅したと思われていた怪獣だった。「ゴジラ」と呼ばれるその怪獣は水爆実験によって目覚めたらしく、日本列島へやってくる。

 

 【感想】

 やっぱりオリジナルは強い。それ以降がどんなに頑張ってもオリジナルは「オリジナルである」という一点で勝ち点を握っているからだ。娯楽映画としての面もある「ゴジラ」が最初の作品は社会的なテーマを扱っていたというのは聞いていたが、かなり身につまされるメッセージがダイレクトに描かれていた。

 

 この映画が公開された当時の情勢を考えると、本当にこの映画は恐ろしい「リアルなもの」として受け止められていたのだろうと思います。戦後わずか9年。敗戦からの復興の道筋も見えてきた反面まだまだ戦争の傷跡が濃く残る社会。そんな時に流れてくる水爆実験のニュース。劇中にも「長崎で原爆にあったのに」「また疎開なんて」という台詞が登場する。この映画の中の人たちはまだ「戦後」を引きずっている。

 

 そして「ゴジラ」は水爆実験の影響で日本にやってきて震災や戦禍以上の厄災を振りまく。ゴジラに家族を殺された少年や、母親が死んで泣き叫ぶ少女。この辺のシーンは見ていて胸が痛くなった。特撮の技術は当時にしてはかなり高度で、ゴジラを怖いものとして撮ろうという意気込みが伝わってくる。それでも、印象に残るのは「映像」ではなく「物語」だった。「ゴジラ」は人間が引き起こした厄災の象徴だ。

 

 意外に思えたのが、「ゴジラ対人間」の単純構造ではなく人間同士でも利害やエゴが衝突していたことです。山根博士は「研究素材としてゴジラを生け捕りにするべきだ」と言いますが、あの状況でゴジラの被害を考えればゴジラを殺すことしか考えられないでしょう。結局彼はゴジラ生命を心配していたのではなく、研究者としてのエゴで行動していました。更に芹沢博士はゴジラを抹殺できる装置を作っておきながら、ひたすらに沈黙を保っていました。大量破壊兵器によって傷ついたばかりの日本でないと、こういう発想は出ないと思うのです。

 

 あと気になったのが、電波塔と心中したマスコミたちです。タイタニック号と心中した音楽隊のように「さようなら、さようなら」と実況中継しながら死んでいったアナウンサー。こんなの現実であったらトラウマものだろうな……と思ったら雲仙普賢岳の事故が近いかもしれない。映画が現実になってしまったのだなぁ……。

 

 そして最後は芹沢諸共ゴジラは海の中に沈んでいきます。山根博士は「水爆実験が続く限り、またゴジラが出てくるだろう」と予言する。その後ゴジラというコンテンツが完全に娯楽映画としてあちこちに行くのですが、この一作目だけ見ると反戦反核のメッセージがかなり強い。果たして、シン・ゴジラはこの作品を現代でどう生かしてくるんだろう。

 

シン・ゴジラの感想はこちら】

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