傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「俺たちに明日はない」

 死ぬために生きる。

 

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【あらすじ】

 成り行きでコンビを組んでしまったボニーとクライドの二人は、各地で銀行強盗を繰り広げる。銃を片手に金品や車を奪ってあちこちを逃げ回るその先に、二人は何も見ていなかった。

 

【感想】

 アメリカン・ニューシネマの第一歩。ほぼ史実を元にしているとはいえ、有名なラストシーンは当時衝撃と共に迎えられたらしい。最近の映画を観慣れると大した衝撃と感じないくらい、この作品の影響力がすごかったってことなんだろう。

 

 アメリカン・ニューシネマのテーマって「閉塞感からの脱出の先の虚無」みたいな、そういう「頑張ったけどハイ残念でした」みたいな、そういうのを感じる。そしてこれは現代の日本でもあって、ジャパニーズ・ニューシネマが求められているんじゃないかって思っている。『タクシードライバー』とか是非今の日本を舞台にリメイクしたら割と売れるんじゃないかと思っている。あ、でも『アイアムアヒーロー』とか少し似た感じかもしれない。漫画の最初の方だけしか読んでないけれど。

 

 どうしてもボニーとクライドの破滅的な生活が注目されがちだけれど、「何故彼らが破滅に至ったのか」までがアメリカン・ニューシネマの見どころ。彼らは何度も「今度は何をしよう」というような話をするけれど、結局落ち着くのは銀行強盗。そしてそこから逃げるということの繰り返し。 印象に残ったのはボニーが母から「逃げ続けるだけの人生よ」と言われるところ。彼らは今を一生懸命生きているのではなく、「今」から逃げ続けているだけ。だけど、この時代のアメリカでは長引く不況から「逃げの何が悪い!」という機運が高まっていた。そんな風潮が、この二人を英雄視する下地になっていたんだと思う。

 

 ひとつ気になったのが、クライドが勃たないという設定はどう生かされているのかよくわからなかったこと。セックスをしない関係と言うことで、この人たちは生々しい人間から清いヒーローになっているのかもしれない。そうは言ってもただの犯罪者なんだけれどね。

 

 今の時代もそうだけれど、悪いのは全てにおいて余裕がないこと。余裕がなと、目の前から逃げ出すしかなくて、結局逃げと言うのはつまり犯罪なわけで。この映画のラストシーンのように犯罪は厳しく罰しないといけない。しかし、罰するに至るまでに彼らの手で多くの新しい「ボニー&クライド」が登場してしまった。彼らの生き様に共感する者や、彼らに家族を殺されてしまった者。そういった人々からも彼らは逃げ続けた。過去を振り返ることは責任を負うということ。そんなことを思いました。