傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「ジョニーは戦場へ行った」

 いろんな意味で「もう二度と見ない」って思った映画は初めてだ。

 

ジョニーは戦場へ行った [DVD]

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【あらすじ】

 大戦中、身元不明の重傷者が運び込まれる。彼は一命を取り留めたものの、四肢も顔も失ってしまった。大脳が損傷しているため、彼との意思疎通はできないと判断した軍は彼を隔離病棟に押込める。しかし、彼には意識があった。かつてジョーと呼ばれていた彼は「過去」や「夢」と現実世界を行ったり来たりしながら、何とか外部の様子を知りたいと願う。

【感想】

 もともとよく「この映画すごいよ」ってタイトルだけあげられている映画だったので、一度見てみたいと思っていたのです。ところがタイトルと「反戦映画」という触れ込みでずーっとツタヤの「アクションコーナー」で探していたので今まで見つけることが出来ませんでした。やっと見つけて喜んでみたところ、全然戦争のシーンが出てこなかったので「ちゃんと調べれば見つかったのかな……」という気分になりました。でも立派な反戦映画。


 開始5分で胸を抉られ、カリーンとの初夜のシーン以降「これからきっとああいう状態になるまでの悲惨な戦闘シーンが始まるのか」という期待を裏切られ、太陽の光を浴びて喜ぶジョーでいたたまれなくなり、最後に看護婦が追い出されるシーンで「え、え、これでおわり?」と空中に投げ出されたようなショックを受けた次第です。


 結構テーマが複雑で「戦争が人を傷つけること」ということが一番なんだろうけど、根源に「尊厳死」のテーマが流れていてそれがダブルで迫ってきて視聴後すぐにテレビのスイッチを切ってしまいました。「見てはいけないものを見てしまった」という感覚。強烈な感情に充てられた人間は何も考えることができなくなってしまう。強すぎる怒りと絶望が全編通してひしひしと伝わってくる。淡々としたジョーの語りの中に常に含まれている絶望。とても苦しい。


 一番気になったのが「大人は家を守るから戦争に行かない」という言葉が繰り返しでてきたところ。何も持たない若者は戦争で捨て駒のようになってもよいという発想は現代もかわらない。みんな自分を守るので精いっぱいで、他人のことなんて知る由もない。その中で守られるべき弱者がいるなんていうことは忘れられている負傷兵もそんなもののうちで、彼らを救済することはできない。この映画はかなり悲惨な部類ではあるけれど、戦後間もなくわが国でも片足を亡くした復員兵にどれだけのことをしたかを考えると、やっぱり「弱者を意図的に作り出した」のは戦争であり国家なんだと思わざるを得ない。


 途中でジョーが「夢か現実かわからない」と言うように、何が夢か現実か一瞬観客もわからないようになっている。しかしよく見ると夢の部分はカラーで、現実の部分はモノクロで表現されている。「カラーの夢を見る人は気がふれている」という話が根強いと思われる時代でもあり、モノクロ表現で現実の冷たい空気を感じさせることといい、この表現はただの視覚効果とは思えない何か裏があると思う。夢の中では生き生きと動き回るジョーだけれど、現実のモノクロの世界ではただ首を振ることしかできない。このギャップを何度も往復させられる観客も辛い。


 個人的にこの邦題は非常に良いと思う。普通に戦争映画だと思っていた自分のような人間を滅多クソに打ち砕く破壊力がある。原題の直訳だと「ジョニーは銃を持った」になるんだけど、そこをうまく訳したなーって思った。そして「戦争に行ってこういうことがあったよ」ではなくて「戦争に行って銃を持ったからどうなったんだ!」の答えを延々と突き付けてくる意地の悪さがある。


 日本では『火垂るの墓』をよく放送しているけど、この『ジョニーは戦場へ行った』も毎年流してもいいくらい出来は良い。残虐なシーンはほとんど出てこない。一部戦闘のシーンでドイツ兵の遺体を埋葬するシーンがあるくらいだ。ただビジュアルにはでないむごたらしさがこの映画にはある。一言でいうと「むごい」に尽きる。だからこの映画はもう見れない。一度見れば十分だ。だからみんな一度は見てみるべきだと思う。