傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「ゲド戦記」

 病んでる人だらけの狭い世界ファンタジー。

 

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【あらすじ】 

 父王を殺して国を出奔したアレン王子は、旅の賢人ハイタカに助けられ、世界の均衡を崩している者の正体を突き止める旅に同行する。

 

 【感想】

 あー……。

 なんていうか……。(必死で言葉を探している)
 そうか、これ残念イケメンの話だ!
 残念すぎて愛される系のイケメンの話だ!

 とにかく、主人公アレンがへタレ過ぎて苦笑の連続。多分原作を読んでるとなんとなくわかるんだろうけど、映画だけだとさっぱり訳がわからない。情緒不安定により親を殺害。自暴自棄。謎の悪夢。そして顔面崩壊。最終的に立ち直るけど、「アイツが来る!!」って逃げているところは完全に電波入ってます。しかもどう見ても最終決戦に女の子を連れていくという途方もないへタレ。普通「あとは僕に任せて!」って展開にならない?こんな17歳の王子様嫌だ。「つぐない」以前に、その電波をなんとかしないといけないのではないでしょうか。

 そんでテルー。「いのちをだいじに」が大好きな女の子。それしか言葉を教えられていない可能性がある。RPGの村人並のボキャブラリーに今後が心配になりました。その他のキャラは、薄すぎてどうにもならない……。魔法使い二人もその脇キャラも、特にこれと言った感想がない。「ふーん、そうだねぇ」くらい。

 多分、これだけ薄い理由は脚本じゃなくて、絵にある気がする。生々しい現実を見せているようで、全然汚くない。奴隷市場とか、顔の傷の跡とか、すっごいキレイにさらっと描いてある。「剣と魔法のファンタジー」の難しいところは、その辺の質感をどうやって引き出すかってところで、「剣がシャキーン、かっこいい!」「魔法がびゅんびゅんやりたい!」とやったところで土台になる世界が薄いとどうにもならないのですよ。単純に、「生と死」を描きたかったらキッタないけど死骸を描いたり奴隷だってもっと汚く描写できたはずなのにみんなシャンプーしてそうな清潔な身なりで生きているというより、書き割りのモブにしか見えない。

 最大の不満は、テルーの顔のアザが火傷の跡らしいということ。キレイすぎる。もっとぐちゃっとしてないとテルーの絶望なんて描けないと思う。女の顔に傷がついているということは、本当に大変なことですよ。「いのちをだいじに」とか言ってる場合じゃないんだよ。「生きてるって素晴らしいだろ!」っていう農作業のシーンも、ここだけ見るなら「ドラミちゃん・アララ少年山賊団」のほうがイキイキと描けていると思う。

 土とともに生きるっていうのが、どういうことなのか微妙にしか見えてこない。「アララ少年山賊団」では凶作でろくにご飯が食べられないというところでドラミちゃんが未来の道具で野菜を作るんだけど、その作業が本当に楽しそうで。食べるっていうことや働くっていうことを直視していない描き方で、ただただ「生きる」だの「死ぬ」だの連呼していても面白くない。多分その辺が「薄い」と感じてしまったところなんだろう。最後の超展開については何も言うまい。

 映画館で見ていたら「金返せ」レベルかもしれなかったけど、アレンのへタレ電波っぷりが嫌いじゃないのでとりあえず「可」で。でも、人にはすすめられないなぁ。これ見るならドラミちゃんの映画みたほうがいいと思う。