傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「メッセージ」

その日、人類は特に思い出さなかった。

 

メッセージ (字幕版)

メッセージ (字幕版)

 


【あらすじ】

世界中に不思議な巨大飛行体がやってくる。言語学者のルイーズと物理学者のイアンは軍の要請で彼らとコンタクトをとるために連れてこられ、飛行体の中で彼ら(ヘプタポッド)と文字のようなものでコミュニケーションをとることを試みる。一方、他の地域ではなかなか真意のわからないヘプタポッドたちに痺れを切らせ、武力行使をする流れになっていく。


【感想】

これは最後まで見て「ああああ!」ってなるタイプの映画だと思った。原作の『あなたの人生の物語』や原題の『arrival』だとより「ああああ!」感が出るなあと思いつつ、シンプルな邦題もそんなに悪くないと思いました。


ただこの映画、好きか嫌いかと言われたらどっちかと言うと「嫌い」よりなんですねぇ。面白いんだけど、全体的にテンポがもったりしているというか、画面が水の中を歩いているようにぬめっとしている感じ。そんでヘプタボッド達が帰って全ての真相が明らかになって初めてスカっとした空気になるというか、そんな感じ。映画としてはこの表現は大正解だし超正しいんだけど、なんか見ていて疲れてしまったので星ひとつです、という感じ。『ブレラン2049』も途中で眠くなっちゃった人なので、ドゥニさんと相性悪いのかもしれない。『複製された男』はまだ見てないので望みはまだある。


で、この映画を見ている最中にすごく気になったのが「他の土地ではどうやって交信しているんだろうな」ということ。大正義アメリカは正攻法として、中国は麻雀牌で更新しているというのも面白い。さて、北海道ではどうだったんだろう。というか、日本政府はどう対応したんだろう。自衛隊が出向くことになるんだろうけど、自衛隊出動反対のデモとか宇宙人とも酒を飲んで腹割って話せばわかるとかそういう感じもあったんだろうか。北海道は宇宙人饅頭とか宇宙人の恋人とか土産物を乱発して、ネットでは宇宙人を無駄にdisって炎上とかありそう。映画の間中そういうことばかり気になってしまった。よくない癖ですね。


そしてオチもなかなか凄い。まるで「先取り約束機」のようだと往年のドラえもんフリークは思いました。実際に未来を見て、そんで知りえない事態を実行して未来を作る。だけどなんだかスッキリしない。何故なら見えてしまった未来は良いものではなかったから。生まれてもいない自分の子供が先立つのを見るなんてかなりしんどい。しんどいのを受け入れるしかできないというのも何だか嫌だなあ。


この作りで少し思ったのが、この作品の中では時間というのはある定められた1点に向かっていくという解釈でいいのかなということ。中国がへプタボッドに攻撃を仕掛ける未来とか主人公が結婚しない未来とか、そういうのはなかったんだろうか。時間が無限に広がっているわけではないということでいいんだろうか。


総合的に見ても面白い映画だと思うんだけど、個人的に肌に合わなかったなという印象の強さを感じてしまいました。個人的には「宇宙人と地球人の交流じゃなくて最終的に非常に個人的な話にまとまってるのなんか納得できない」なんですけど、こういう映画に言うのは野暮ですよね。野暮だからやめます。おわり。

 

感想「コンビニ人間」

たまごください たまごください たまごください

 

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 

【あらすじ】

コンビニでアルバイトを18年続ける女性、古倉恵子。コンビニ以外の場所で適応できず、コンビニ店員でいる時のみ世界に必要とされていることを実感する。ある日新入りで入ってきた白羽という男性は勤務態度が悪く、すぐクビになる。恵子は周囲から押し付けられる「普通」と戦うため、白羽にある提案を持ちかける。


【感想】

※この感想は時々「はてな匿名ダイアリー=増田」をベースに書いているところがあるので純粋に書評が読みたい方はごめんなさい。

 

いやー、変な小説だった。物語を読んだ感じがしない。クソ長い増田を読んだ気分。そう、この主人公もクソみたいな男も店の仲間たちもみんな「増田」みたいじゃん。そう思うとすごく面白い。増田はコンビニだったのか。


主人公も大概ぶっとんでいるけど、出てくるクソ男のテンプレワードがなかなかひどい。「底辺」はいいとして、「縄文時代」はなかなかすごい。もう面白くて鼻血出ちゃう。実際にこんな男がいたら誰も相手にしないだろうな。相手にするコストが馬鹿にならなそう。


先に白羽という男について思うところを書くと、彼の言葉には誠意や真実というものが見えない。全ては言い訳や作り物であれこれ言うだけ言って本質的なところから逃げているし、最後まで逃げの姿勢を貫いている。物語論として「問題→悩み→解決」という筋があるけれど、白羽には最後まで何の解決もないし成長も見られない。


そして物語の後半で彼を呼んで説教大会が開催されそうになっていて、ここが特に面白かった。まんま「はてな」の世界じゃないか。村田沙耶香はてなのサービスを利用したことあるんだろうか。


しかし匿名性の高いネットの世界ではなく、実名顔出しで他人を煽りまくる白羽もなかなかクレイジーだ。もちろんこの話は虚構なのでこんな人は滅多にいるものではないのだけど、ネットの世界を見ていると隠れ白羽のような人はたくさん見られる。ただ、彼らは白羽のように他人を攻撃ばかりはしない。とにかく哀れんでほしいんだと思う。


白羽は「普通じゃない人を裁くのが普通の人の趣味」と言っているが、それは本質では無いと思う。現に白羽は自分以外の人間全てを自分裁判で有罪にしている。おそらくそれが白羽の今まで生きてきた道で、裁くことでしか彼はコミュニケーションが取れないのだと思う。コンビニを通して社会に溶け込んだ恵子と比較すると、白羽もまた悲しい人生を送ってきたのだと思う。


つまり白羽にとって必要なのは金でも女でも承認欲求でもなく、ただまるごと話を聞いて受け入れてくれる人なんだと思う。ただその相手に恵子は向かなかったし、むしろ最悪な組み合わせではあると思う。何故なら、恵子は相手を受け入れるどころか自分のことすら理解することを放棄しているように見えるからだ。


主人公の恵子が就職も結婚もせずコンビニに適応して生きていることを周囲は良しとはしない。この周囲に対して「他人のことなんだから放っておけばいいのに」と言わせたい向きがあるけど、恵子の本質を考える限り彼女は「治療」されたほうがいいんじゃないかと思う。


彼女の本質を見る幼少期のエピソードに「喧嘩を始めた級友をスコップで殴る」というものがあった。他にまだ赤ん坊の甥を泣き止ませるのにナイフを使えばいいのに、と思うシーンもある。これを「合理的」と捉えるのは無理がある。どちらかと言うと非常に暴力的で、他人に危害を加える恐れの高い人物だと思う。教師のエピソードを見ても、理由さえあれば他人に暴力を振るうことを躊躇わない人間が恵子だ。そりゃ職員会議にだってなる。ただそこで気になったのが、恵子の外界との接触がそこで終わっていることなのだ。カウンセラーも匙を投げ、親も嘆くだけ。そこで気になったのが、誰も恵子に対して本気で対応しなかったことだ。それか、その本気すら恵子は感知することもできなかったのか。これだけ理詰めで物事を理解できるのであれば、ある程度理詰めで他人の感情を予測することもできるだろうに、ただ否定されただけで彼女は適切な対応を獲得できなかった。彼女のある意味究極的な受け身の姿勢は彼女自身の特性ではなく、そう学習しただけのような気がする。


彼女の場合、「治る」とあるけれどもこの場合は治癒ではなく、「成長」が必要だったのだと思う。彼女は級友や教師に対して間違ったことをしても「反省」「改善」することができなかった。心から理解出来なくても、理屈を体に覚えさせることは出来る。それが彼女にとって「コンビニ」だったのだと思う。従来ならそれを社会生活、人間関係全般で行って欲しかったのだが、彼女は殻に閉じこもってしまった。この辺からなんとなく、恵子も「居心地のいい場所から逃げたくない」と成長を拒否しているような気がしました。


そこまでして恵子を「治療=強制」させて何になるのか、と思う人もいるだろうけど、もし彼女が何の気兼ねもなく彼女らしく生きていたらどうなっていただろう。大人になればスコップで殴られることはさすがにないだろうが、「合理的」という基準でいろんな人を傷つける恐れは非常に高い。彼女は「コンビニ」にある程度「治療」されているのだと思う。だからもう「コンビニ」からは戻れない。


誤解のないように補足をすると、「治療」とは必ずしも悲しいことではない。生まれつき障害のある人間が義足をつけたり補聴器をつけたりするのは悲しいことではないし、ありのままにこだわってなんだかわからない暮らしをさせるほうが悲しいと思う。死んだ小鳥を食べてはいけないことを「かわいいそうだから」ではなく「野鳥には悪い菌がいる可能性が高いし、鳥獣保護法という法律で禁じられているからダメだよ、焼き鳥の肉は焼き鳥用に作られているから食べていいんだよ」と彼女の質問から逃げずに答えられる大人がいれば、あるいはと思ってしまう。「治る」という言葉がダメなんだろうな。「成長する」って言って欲しい。


実はこの小説の一番大事な台詞は白羽の義妹が言う「絶対にちゃんと生きたほうがいいですよ!」なんだと思う。この場合の「ちゃんと生きる」とは就職や結婚をすることではなく、「自分の人生や感情に責任を持つ」ということなんだと思う。あれこれ逃げ回っている白羽はもちろん、全ての物事に対して想像力が異様に欠如している恵子にも言える話だと思う。将来のことでなくても、今夜食べるものすら栄養が摂れていれば味がなくてもいいというのはある意味最高の「人生の放棄」なんじゃないかと思う。「私はこれがいい」と積極的に選んだことがほぼないのではないだろうか。強いて言うなら、それが「コンビニ」だけだったということで。


作中で一番疑問だったのが「何故恵子は社員にならなかったのか」という一点。仕事ぶりから売上管理や社員教育だってやる気になればできそうだし、社員になればずっと好きなコンビニにいられるのに、何故彼女はアルバイトにこだわったのか。おそらく彼女の本質的なヤバさを歴代店長は見抜いていて話を持っていかなかったというのがあるけれど、それが彼女の人生の「逃げ」だったのだと思う。


やっぱり本質的なところで彼女は「治る」のが怖かったのではないかと思う。「あなたは怒らない」と指摘されてから必死に「私も怒っている」と取り繕うけれど、正直そこは同調してもしなくてもいい部分ではないかと思う。人間観察が趣味の彼女でも、自分の感情を覗くのは本当に怖かったんだと思う。本当に怒っていないならば「怒っていない」ことを当たり障りのない方法で伝えれば良いし、その程度で人間なかなかドン引いたりしない。


おそらく彼女は幼少期より「感情を伝える」ということの成功体験がないのだろうと思う。楽しい時に楽しいと伝えて楽しみ、悲しいという気持ちを泣いて表現する。それができなくても、仕草を覚えることはできる。しかし彼女は他人の感情どころか自分の感情からも逃げてしまった。頑なに食事を「餌」と呼ぶことで自分自身からすら自分を遠ざけている。


普通の人は普通でない人を排除するのではなく、コミュニケーションが取れない人から離れていくものなのだと思う。普通の人は普通のことをしていないから排除するのではない。少なくとも自分で一生懸命考えて、自分の感情と折り合いをつけて生きている人を悪く言う人はあまりいない。たまに言う人もあるが、それは巡り合わせが悪かっただけだと思う。


面白いかそうじゃないかって言えば、「小説」としては特に面白さは感じなかった。しかしこれが「ネット発の怪文書」だったらすごく面白かったかもしれない。小説と銘打ってしまったので恵子も白羽も完全に虚構の存在になってしまって、妙にリアリティがあるところが鼻についてしまう。これは恵子のキャラクターの問題もあるけれど、恵子自身が成長する気がないから内面について考えることもしないし、テーマの「普通とは」も行き当たりばったりのものでしかないと思う。


ただ、これが「これは本当にあった話です」テイストになればまた違う面白さがあると思った。明らかに虚構なんだけど、完全に虚構と言いきれない。だから共感と拒否の反応は小説として出されるより何倍もあると思う。内容を凝縮して、増田に出せば1200userくらい行きそうな奴だと思った。


逆に言えば、増田を初めとしたネット発のどこかの誰かの本当にあったかもしれない物語に皆が賛否を寄越す。ベビーカーでエレベーターに乗っただけで発信さえすれば大衆は大騒ぎする。この世界で恵子が生きていたらどうなるだろう。一喜一憂する世界に順応するのだろうか。それとも、世界の変化についていけずに先鋭化した思想を持つか余計殻に閉じこもるのか。それは恵子ではないので誰にもわからない。おわり。

感想「消滅世界」

セックスが嫌ならオナニーをすればいいじゃない。

 

消滅世界

消滅世界

 

 


【あらすじ】

人工受精が当たり前になり、人間同士の恋愛やセックスが忌避されるようになった近未来。雨音は「セックスをしてお前を生んだ」という母親に育てられた。幾つかの恋愛や結婚を通じて、雨音は家族の形すら解体してしまった実験都市に興味を持つ。


【感想】

村田沙耶香さんの本を初めて読みましたが、これは気持ち悪いですね(褒めています)。あっさりしているようですごくネバネバした感情が下敷きになっている。ネバネバを否定するために「私はあっさりしてるのよ」と過剰にあっさりを積み重ねて余計後ろのネバネバが見えるような、そんな感情。


いろいろとありえない近未来の話なんだけど、そういうわけで恋愛感情も性欲もなくなりました、めでたしめでたしというわけがない。この話の外側には間違いなくとんでもない「闇」が隠れている。


ひとつは恋愛対象の「キャラクター」を生み出す人々の存在。作中ではいわゆる「二次元」のキャラクターを恋愛対象にすることを「清潔な恋愛」と位置づけていたけど、多分それは受動的にキャラクターを消費している側だけの感覚で、キャラクターを生み出す側の人々はどう感じているのだろうか。


そもそもいろんな物語を作るのに単純な恋愛感情は不可欠で、それは家族愛や友情とも少し違う。この世界では古典を野蛮なものと全否定しているので過去に習うことも難しい。そんな中でどうやって物語やキャラクターを作っているのかとても気になる。この世界にカスタマイズされた感覚で物語を作っているんだろうけど、それでキャラクターに恋愛感情を抱くようになるのがよくわからない。もしかすると、作中でキャラクターと恋愛しているという人達の抱いている恋愛感情というのは憧れとかそういう類の感情なのではないだろうか。


で、それで頑張ってキャラクターを想像してファンがある意味性的に消費して、もしかすると作者とキャラを混同したファンが押しかけてきたり物語の展開が思い通りに行かなかったからと作者を襲撃したりはしないんだろうか。物語の在り方がすっかり変わっていると思うのでこの辺の事情も変わっているのだろうが、消費することを考えるあまりに生産する人のことを考えていないような気もする。消費者が良ければそれでいいのかもしれない。


もうひとつ気になるのが実験都市での「父親の不在」だ。男も出産できるからお母さんだとかそういう理屈ではなく、根本的に「父親」がいない世界が恐ろしいと感じた。一般的に父親は社会的な繋がりを子供に教える存在であるとされるけれど、この実験都市には「社会」というものがもう存在しない。社会の最小単位と言われる家族すら解体して、残されたのは大きな集団に属していると思われる個人だけである。みんなが「お母さん」であり、みんなが「子供ちゃん」になる。


そうなると社会全体が「お母さん」であり、「子供ちゃん」はいつまで経っても子供のまま。各個人の考え方など生まれないだろうし、社会性も私たちの考える「社会性」は持たないと考えられる。本文を読む限り「お母さん」は都合のいい時に都合よく子供に接すれば良くて、基本的には行政の職員が子供の面倒を見るらしい。超管理社会という意味ではハックスリィの『素晴らしい新世界』のようだ。


この実験都市と言えばハーラン・エリスンの『少年の犬』に登場する地下ユートピア伊藤計劃の『ハーモニー』のような世界世界を思い出す。争いを避け、痛みから遠ざかる先には個が薄くなるなど何らかの不健全な社会が待ってる。しかしそれも見方の問題であって、私たちの社会から見ればおかしいことでも「あっちの世界」の人間からすれば滑稽なことなんだろうとは思う。


そういうわけで一見完璧に見えるようなこの世界も、雨音が感知していないだけで負担を強いられている人がたくさんいるのであろうと考えられる。「清潔」な恋愛感情を抱くために消費させられるクリエイターや赤ん坊を育てる職員。都合のいい時だけ親のように振る舞えば良いのは親ではなく、無責任な他人だ。それをこの世界は是として世界の理としている。


ただ「当人たちがそれでいいと言うならいいんじゃないの」以上の言葉はない。この作品の中で生きる人達がそういう選択をしただけということでいいと思う。だけど、その世界で雨音の母親みたいな人はどこへ行けばいいんだろう。ハックスリィみたいに「野蛮人保護地区」でも作るべきなんじゃないだろうか。ラストでまるでペットのように獣として描かれている母親の描写は蛇足のようで、「昔の価値観に寄り添わず切り捨てる現代人」の寒々しい態度を感じた。時代が違うのはわかるけど、簡単に価値観なんて変えるのは難しい。そういう意味で現代を生きる私達もいつか彼女のように「獣」側になることを恐れなければならないんだと思う。


そんな風に思えるようで、それでもこれはただの作り話でそんなことを考えること自体が杞憂ですよとなるようなところもある、不思議な読後感でした。終始気持ち悪いんだけど、その気持ち悪さが何なのかみんなで探ろうみたいな価値観がひっくり返る系の話。面白かったです。おしまい。

 

 

感想「パンズ・ラビリンス」

異形最高!

 


【あらすじ】

スペインの内戦時。夢見がちなオフェリアは身重の母と一緒に義理の父のヴィダル大尉に引き取られる。ゲリラの掃討に冷酷な指示を下す大尉の元、オフェリアは孤独な日々を過ごす。ある日オフェリアの元に妖精が現れ、導かれて向かった先にいたのは森の守護神パンだった。パンはオフェリアが昔亡くなった地下の国の王女の生まれ変わりだとして王女として蘇るために3つの試練を受けさせる。


【感想】

異形はよし!
あとは、うーん。


異形監督として名前のあがるギレルモ監督初挑戦です。いやあ異形最高だね! なんだろあの明らかにヤベぇ造形の奴は。心踊る異形だねアレは。


とはいえ、例の異形がばぁーのシーン以外は結構イライラする感じでした。多分イライラする理由は「オフェリアの内面がイマイチ見えてこない」からなんだろうと思う。ヴィダル大尉の冷酷な面は結構クローズアップされるんだけど、それに怯えるオフェリアのシーンはなんだか少ない。だからオフェリアが何を考えているのかよくわからず流されてしまっているのでなんだかよくわからない。「ここから逃げ出したい」と強く望んで試練を受けているわけでもないし、試練を拒むようなところもない。悪く言えば非常に子供らしくて魅力がない。


最大のダメな点は第二の試練で禁じられていた食べ物を食べてしまったところだろうな。あそこで我慢できなかった理由が観客にはわからないので、子供のワガママにしか見えない。異形さんを活躍させるためなんだろうけど、それなら少し理由が欲しかったなー。それか食べ物以外の理由にするとか(音を立ててはいけないとか)。


そんでヴィダル大尉VSレジスタンスが個人的にダルかった。薄幸の美少女を見に来たのにオッサンがヒャッハーばっかりしてたら、まぁ疲れるよね。うさぎ狩りの農民はヴィダル大尉のキャラ付けで殺されてて可哀想でした。レジスタンス側のドラマがちょっと多かった印象。その分もう少しオフェリアに構って欲しかった。


で、この過酷な現実に対して少女が妄想する作品っていうとギリアム監督の『ローズ・イン・タイドランド』なんですけど、それと似ているようで今作は結構違うところがある。

 

ローズ・イン・タイドランド [DVD]

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ローズ・イン・タイドランドの方は全てが最初からおかしいし、最後までどこまで行っても「正常」と呼べるようなシーンはない。でもこのパンズ・ラビリンスは時代の流れとしては狂っていたとしても出てくる人間自体が狂っている訳では無い。ヴィダル大尉も体制側というだけで特別変な人ではないし、レジスタンスも母親も普通の人間だ。オフェリアだけが現実に絶望している。でも彼女が何に絶望しているのかよくわからない。


何となくだけど、オフェリアが一番嫌だったのは母親の再婚なんじゃなかったのかな。内乱とか父親の死とか突然の田舎暮らしとかそういうのより、「母親が父親以外の男の子を身篭った」ということに耐えられなかったんじゃないだろうか。父親以外の男にも嫌悪感があったし、母親を心配しているようで結構突き放しているようなところも見られる。


賛否両論のラストは、個人的に「オフェリアの妄想」派。というか、最初から全てオフィリアの妄想派。レジスタンス側が救われた分、オフェリアに救いがない方がこの話はとっても面白いと思う。なんか不発でした。おしまい。

感想「アナベル 死霊館の人形」

見た目が既に怖いよ!

 

アナベル 死霊館の人形(字幕版)
 

 

【あらすじ】

間もなく赤ん坊が生まれるジョンとミア夫妻。ミアが好きなアンティーク人形をプレゼントされた夜、隣人夫妻が娘のアナベルとその恋人に惨殺される。警官がかけつけ、アナベルは自殺したがその血が人形に付着する。それから無事に赤ん坊は生まれてくるが、妙なことが起こるようになる。そして捨てたはずの人形が何故か手元に帰ってきて、怪異が本格化していく。


【感想】

もうね、ヴィジュアルから全力で怖いよ!

 

死霊館」シリーズなのですが、死霊館初代は「結局悪魔の棲む家だしなー」と適当に見て、エンフィールド事件は「きゃー異形ちゃんかわいいー!」とか思いながら見てました。

 

ぶっちゃけ期待値はめちゃくちゃ低かったです。それに「呪いの人形」という時点で話も見えているし、サスペリアとかオーメンみたいな悪魔系のホラーに恐怖を感じないのです。あとゾンビ系も何か苦手。

 

しかしこの「アナベル」は良い。恐怖演出を割合で出すと「悪魔のストーリー15%、ダンナの序盤のダメっぷり5%、アナベルのヴィジュアル80%」くらいアナベルのヴィジュアル依存しているけど、それがいい。話もすごく単純だからアナベル人形が怖いのがすごく引き立つ。


アナベル人形が主役なのでその他のことはどうでもいいんですけど、序盤のダンナの空気読めなさっぷりは面白かったです。夫婦の関係を違う視点で見ている人達からは絶賛されること請け合いのひどい言動が見られました。「どれどれ」と見てもその手の感性がないとこのポンコツぶりは堪能できないかもしれません。ただ残念なのが、ポンコツは序盤だけで終盤にはちゃんと問題に向き合うパパになっていたところです。ポンコツのまま最後まで行って欲しかった。


そんでアナベル人形がガオーってやってくるのですが、ひとつだけものすごく怖いシーンがあります。よくあるビックリ系の演出なのですが、なかなか上手で鳥肌が立ちました。これは怖いよ!


あとは基本的に「お人形怖い!」でおしまいなのですが、ラストがなんだか頂けないというか、なかなかモヤモヤする終わり方。キリスト教圏だと受け入れられるんだろうか。


とにかくアナベルのビジュアルで乗り切れるなかなかよい映画でした。この映画を見たあと本物のアナベル人形の画像を検索してガクブルしたり、ついでに見ちゃったロバート人形の画像を見て夜眠れなくなったとか、そういう映画の外にも面白さがあった映画でした。個人的にロバート人形はトラウマレベルです。人形の由来なんかも見ちゃうともうダメ。映画より現実のオカルトが怖い。当たり前ですね。おしまい。