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傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「ビリギャル」

 ひとつの毒家庭の結末。

 

 

【あらすじ】

 私立の中高一貫校に通うさやかは家庭の問題などから勉強を全くしなくなり、学年ビリとして素行も悪いことから停学を言い渡されるほど荒れていた。心配した母親が通わせた個別塾で「慶応大学に行って周りをあっと言わせよう」と言われたことから猛勉強を始めるが、彼女の高2での学力は小学生ほどであった。

 

【感想】

 うーん。

 

 本人が努力して頑張ったのはその通りなんだけど、この話って要は「努力して勉強すれば夢は叶うよ」じゃないのが残酷なところ。どっちかというと「家庭が壊れていると普通の子も落ちこぼれになるよ」って言うところだと思う。

 

 見た限りさやかは学力に難がある子だとは思えない。学力に難がある子はまず一念発起したとしてもあんな風に勉強できない。辞書を引いて英語を勉強するなんて無理。つまり、さやかは「ただやっていない」だけでポテンシャルは十分にある子だったってことだけだと思う。そう考えると、「そんな子が学年ビリになったのは何故か」というところのほうがこの映画の中心なんじゃないかって思う。坪田先生がやったのはさやかの自己肯定感を高めただけで、学力的指導で特別なことはやっていないと思う。それだけさやかの家庭に問題があり、家庭の問題がさやかの学力に直結していたんだと思う。

 

 さやかの毒家庭っぷりは多少の誇張はあるのかもしれないけれど、かなりひどい。何がひどいと言えば、一見「子ども想いの両親」という図が成り立ってしまうからだ。お父さんは「息子のため」だけに行動して娘はほったらかしどころかひどい扱い。映画だからって言って「ここまでやるか?」という毒行動だけれど、多分これよりもひどい毒な環境で暮らしている人もたくさんいるだろう。さやかが勉強をしなくなったのは、間違いなく周囲の大人のせいだ。

 

 あと映画だからって高校の教師が相当悪者っぽく描かれていたのが気になった。坪田先生にさやかの担任が「営利目的で教育をしているあなたと違うんです」と言うシーンがあるのだけれど、「私立」高校教員の分際で何をほざいているのかとちょっと思ったわけです。ここは脚本家のミスだよなぁ。公立の本当に受け皿みたいなところで教育活動をしてからそういうことは言ってもらいたい。

 

 そういうわけで、途中唐突なおっぱいシーンが挟まれるのも考慮して「女子高生が頑張る映画」というより「毒家庭ダメ絶対映画」として売ったほうが的を射ていると思うんだけどな、という次第です。こちらからは以上です。