傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「ゴーン・ガール」

 あなたは、カンペキ。

 

GONE GIRL

GONE GIRL

 

 

【あらすじ】

 ミズーリ州の田舎町に住んでいるニックとエイミー。ある朝エイミーが謎の失踪を遂げる。夫婦仲が悪くなっていたとはいえ、彼女の失踪について思い当たる節がほとんどないニック。次第に進む捜査で、まるでニックがエイミーを殺害したというような状況証拠ばかり出てくる。絵本『完璧なエイミー』のモデルになったエイミーは果たしてどこへ行ってしまったのか。

 

 【感想】

 脚本は面白いし、映像も引き込まれるんだけど内容は非常に不快だった。多分この悲劇の根本的原因を掘り下げていないからだと思う。原因はそこにあるんだけど、そこではなく悲劇そのものばかり取りざたされている。はやい話、虐待は連鎖する。そういうことだ。

 

 この映画は最初から不自然な描写であふれていた。争ったにしてはこぎれいな部屋。食い違うニックと周囲のエミリー像。ニックの人柄がまちまちに入れ替わり、そして衝撃の展開になだれ込む。つまりエミリーの失踪そのものが狂言で、エミリーが夫に殺されたように見せかけて夫を殺人の罪で逮捕させようとしているということだった。

 

 ただ、ここで非常に気になったのがエミリーが「悲劇のヒロイン」すぎてあまりにも出来過ぎた話だというところ。彼女の「燃やされた」日記の記述は都合がよすぎて、若干不自然なのだ。浪費をして暴力をふるう夫に耐える私、という演出がされているのに夫に断りなく両親に大金を送る嫁という図の説明がつかない。後からあの日記の内容は捏造されたものだとわかるのだが、それに周囲が乗っかっているところが非常に恐ろしい。

 

 もちろんこの映画の悪い奴はサイコパスキラーなエミリーなのだけれど、ニックとマーゴを振り回す「大衆」も十分悪意と認定できる存在だと思うのです。証拠も十分でないのに、ニックを殺人鬼と決めつける女性キャスターや周辺住民。ニックを犯人と決め付ける警官。その中で確かに浮気をするようなバカなんだけれどそこまで責められるのかというほどの責められっぷりだ。全米に報道されて「こいつは全女性の敵!」と吊し上げられるニックがかわいそうでかわいそうで。浮気が「既婚女性の魂の殺人」とすればそうなんだろうけど、サイコパスキラーが奥さんなら倍返しどころか数十倍返しになってしまうわけで。

 

 気になるのが「何故エミリーはそんなサイコパスなのか」っていうところ。彼女は目に見える形でしか愛情を認めないし、適度な距離の取り方も計算しないとできない。要は「良い夫婦なんて演じることでしか成立しないでしょ」っていうことなんだろうけど、それはエミリーの両親にズバリ当てはまるんだろうなぁと思う。正直サイコパスキラーなエミリーよりも娘をモデルに『完璧なエミリー』なんて絵本を書いているほうがどうかしていると思う。『10億アクセスの彼方に』という有名なページがあるけれど、アレで娘がいじめられなかったらどうなっていたのか、という感じだ。

 

 劇中でもちらりと描かれているけれど、彼女はどこぞの検事一家のように常に「完璧」でなければいけなかった。もちろん自然体では「完璧」になることはできないので、常に「完璧」を演じなければならなかったのだろう。そしてそれは両親もそうだったのではないだろうか。そこにやってきたのがスケベ心で「演技」をしていたニック。エミリーはニックの「上辺」の「演技」を見て「この人なら私にふさわしい」と思ったわけです。もう全体的に救われない。

 

 そんな気持ち悪い人間関係の対極にあるのがニックとマーゴの関係なのではないだろうか。双子の兄妹ということで「生まれる前から一緒だった」と互いの違いを認めながらもそのままを受け入れる関係。エミリーにとって理解できない絆だったのだろう。

 

 そもそも家族と言うのは計算や打算で成り立っているものではない。血の繋がりは軽視することが難しいほど、家族と言う繋がりはややこしい。エミリーのいう「結婚」とは、都合のいいように完全に相手を支配するものだ。しかしそれは幸福な結婚ではない。おそらくエミリーの知っている「結婚」がそういうものだっただけだろう。

 

 それからエミリーの対極のキャラクターとして描かれるのが、逃亡先で出会う女性だ。彼女は失踪したエミリーのニュースを見て「お高くとまった金持ちのお嬢さんの自業自得」と言う。それはエミリーにとって理解できない思考だったのだろう。「みんながかわいそうと言っている人を批判する」なんていう「自分の中に明確な判断基準を持っている人間」は彼女の敵だ。速かれ遅かれ、彼女は気まずい思いをして立ち去ることになっただろう。

 

 ニックも十分ダメ男なんだけれど、輪をかけてエミリーがダメ子ちゃんだ。頭はいいけれど、単純に他人を思いやる気持ちがない。気に入らなければ夫どころか家族諸共消し去ってしまおうなんて思っていて、ニックの一か八かの本心の必死の説得も「やっぱり私の理想の夫だ」と本質的なところで響いていない。それどころか妊娠を「他人を動かすカード」くらいにしか考えていないのが怖い。正直、彼女は庶民的な夫ではなくストーカー男と一緒になっていたほうが周囲は幸せだったのかもしれない。

 

 それからこの映画で怖いのはやっぱり「世論」だ。世論を敵に回すと特にネット社会ではろくなことにならない。ネットで真心は伝わりにくい。出来れば周囲がみんなエミリーだと思うくらいの勢いで生きていかなければならない。いやぁ、ハードな未来になったもんだなぁ。