傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「スタンド・バイ・ミー」

 大人になるってなんだろう。

 

【あらすじ】

 出来のいい兄が死んだことで父に疎まれていると感じているゴーディ、家庭環境が悪いせいでワルに見られているクリス、父親が精神を病んでいて耳を焼かれたテディ、太っちょでのろまのバーン。12歳の彼らは「死体を見つけて英雄になる」ことを目指して線路沿いに歩いていく冒険に出る。

 

 【感想】

 不朽の名作だけれどまだ見ていなかったので鑑賞。吹き替えで観たのでクリスの高山みなみ感が最後まで気になってしまった。

 

 大人になってからの回想という形をとっているので登場人物の立ち位置も客観的に見ることができて、それぞれの人間ドラマが非常にわかりやすい。彼らがどんなバックボーンで暮らしていてどんな性格なのかを端的に紹介して、その性格ゆえのトラブルが起こるのだ。例えば勇敢であることを誇りにしたいテディが一人でチキンレースを始めたときのクリスとの衝突や櫛を落としたばかりに鉄橋を渡るのが遅くなってしまったバーンなど、それぞれの葛藤がエピソードによく表れている。

 

 この話はゴーディの視点から語られており、ゴーディは4人の中で比較的生活に恵まれている。ところが父に死んだ兄と比べられ続け、「自分が代わりに死ねばよかった」と彼は無意識に「兄の元へ行きたい」と思ってしまっていた。死体を見て「死」を感じ、弱気になる彼をクリスは必死に励ました。

 

 そんなクリスも本当はかなりいい奴なのだけれど、周囲の偏見により「ワル」のレッテルを貼られており、彼なりに苦悩していた。ゴーディと仲がよくなったのも、そんな内に秘めた悩みを共有していたからかもしれない。テディはイカれた奴だ。しかし、父を誇りに思う姿は誰にも負けていない。自分もいつか父のようにノルマンディーに上陸して立派な軍人になりたいと思っていたのだろう。テディの父が精神を病んだのは、その従軍の後遺症からかもしれない。戦争、やっぱりよくない。そしてお調子者のバーンはワンテンポ遅いが、他の三人より悩みは少ない。

 

 ゴーディの父が「あんな連中とつるむな」と言うとおり、彼らは大人になってしまえば一緒にはいられない存在だった。ところが12歳という年齢が彼らを友達にさせてくれた。この映画はそんな映画なのだと思う。

 

 そして「死体を探しに行く」というモチーフが非常にいい。少年たちにとってはヒーローになりたいという解釈だったのだろうが、「死を見に行く」ということが彼らの通過儀礼になっているところが非常ににくい。橋を渡って「あちら側」の世界に旅立って行った少年たちは、帰って来たときに少しだけ大人になっていた。人の思いを受け止めること、この世の中にはどうしようもない理不尽があること、そして人は案外弱いものであること、などなど。

 

 途中ゴーディの作り話の意味が気になったけれど、多分50年代のアメリカを生きていないとこの話の真の意味がわかりにくいのかもしれない。2016年を生きる我々と彼らの常識は違う。そこを念頭に置かないと、この映画の細部はよくわからない。でも、「少年の日の思い出」という意味では、かなり普遍性に溢れる映画である。この映画が「不朽の名作」と言われるのも、そのあたりが一因と思われる。この映画を大人になって見てよかった、そんな風に思う。