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傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「ズートピア」(長っ)

 ディズニーの本気を見た(何度目だろう)。本当の意味で「全年齢向け」。

 

ズートピア (字幕版)

ズートピア (字幕版)

 

 


『ズートピア』予告編

 

【あらすじ】

 肉食動物が捕食をやめ、草食動物たちと仲良く暮らす世界。ウサギのジュディは「ウサギが警官になんてなれっこない」という声を押し切って「警察官になりたい」という夢を持ち、警察学校を首席で卒業して大都市ズートピアにやってくる。その頃ズートピアでは次々と肉食動物が行方不明になる事件が相次いでいた。思うようにいかない都会の生活で、ジュディは詐欺師のキツネのニックとコンビを組んで行方不明事件の解決へ向けて捜査をする。

 

 【感想(ネタバレなし)】

 えーと、少しでも気になっている方は映画館に行った方がいいです。はっきり言ってかなり面白いです。「全年齢向け」というのは「子供向け」という意味ではなく、「子供が見てもわかるし、大人も面白い」ということだとこの映画で強く感じました。「どうせディズニーの子供だまし」と思ったら結構もったいないです。ストーリーは結構作り込んであります。

 

 何より、映像全般が半端ないです。流石動物の擬人化から始まったディズニーが、現代の技術で本格的に動物を擬人化しただけあってその造形や毛並み、動きに関してはそこだけのために映画館に行ってもいいくらいの出来です。ウサギのもふもふと羊のもふもふの質感が違うし、何よりカワウソの毛皮の微妙なつやつや具合がウサギとはっきり違うとわかるのがスゴイ。この技術だけでも未来を生きている。カワウソの動きには注目してもらいたい。

 

 ディズニーと言えば「動物擬人化」の大御所と言うイメージがある。農場で動物を見ながら育ったディズニーからミッキーマウスが生まれて約90年。動物をモチーフにしながら人間らしく、更にアニメーションという効果を生かして大胆に動くソレはたちまち大人気になっていったわけです。ギャロッピン・ガウチョからここまでいろんなものが進歩したと考えると感慨深いです。

 


ギャロッピン・ガウチョ(1928)

 

 あと個人的に大好きな『ミッキーのオーケストラ(1942)』も貼っておきます。動物が生き生きと擬人化されており、動きを見ているだけで楽しくて、何より「ギャグがほとんど言語化されていない」という点がもうたまらない。後半の「HELP WANTED(求人情報)」くらいでしょうか。

 


113 ミッキーのオーケストラ Symphony Hour 19420320

 

 『ズートピア』に戻ると、意外と話の展開が後半ハードだ。ひょんなことから出会った警官のウサギと詐欺師のキツネのデコボココンビが物語が進むにつれて信頼関係を築いていく中で、社会生活を営む上で見えてくるどうしようもない理不尽さが次々と現れる。だけどその理不尽さを真正面から捉えようと言う姿勢が物語の中からも、それを制作した側からもしっかり伝わってくる。テーマ自体はかなり真面目な内容です。

 

 最初に2D吹き替えで観たときに「面白い! 4DX見たい!」となって急いでもう一度4DX吹き替えで観てきました。人生初の4DXは最高でした。乗り物に乗ってガガガというより画面の煽りなどでふわふわ移動する感じのライド感はよかったです。字幕も見たいけど円盤まで我慢。

 

 あと、これから映画を見に行く人は個人的にスタッフロールのトライバルな感じの曲がかなりツボだったのでじっくり聞いてほしいのですが、多分個人的なツボが深すぎるせいで共感してくれる人があまりいないと思っています。

 

 そんなわけで、以下ネタバレ考察です。鑑賞前提の話になります。いつもにもまして長いです。ビジュアルガイドも読みたいです。

 

ディズニー ズートピア ビジュアルガイド
 

 

【感想(ネタバレ考察など)】

 まず冒頭の「血だー血だー」のシーンで「アダムス・ファミリーじゃん」と笑って、そこからもうワールドにのめり込む感じですね。小ネタ、黒いギャグが多い。個人的に「ありのままに」が最高に笑えました。

 

 一度見ればわかる通り、根幹のテーマははっきりと「偏見と差別」です。ウサギはかわいくて小さい、キツネは狡猾だ、肉食動物は恐ろしい、草食動物は大人しい。ともすれば種族対種族になるところを個々の問題としても鑑賞可能にしているあたり、さすがのディズニーです。以下長くなるのでピックアップして書いていきます。

 

ジュディについて

 主役のジュディは、どこまでも真っ直ぐすぎる危ない女の子。対してニックは、迫害された過去によって真っ直ぐに物事が見れなくなってしまった。そんな対照的な二人を中心にした話なので、そりゃ深いものになるわけです。

 

 ジュディは簡単に言えば「暴走する正義の体現」なんですよ。純粋な子はジュディに感情移入しやすいようになっているのですが、ジュディはズートピアでは純粋すぎるのです。ジュディは「正しいこと」をしているつもりなのですが、序盤の彼女の活躍は空回り気味で、30秒遅れただけで駐車違反切符を切ったり、泥棒を追いかけるのに周囲の迷惑を気にしなかったりと「正しいこと」に夢中で「その周囲の事象」に気を配る余裕はありません。そのせいでニックの詐術にまんまと引っかかってしまい、20ドル損をするわけです。

 

 そして逃走したデュークを追跡するときも「ヒャッホウ!」とポーズを構えることで「犯人を捕まえる」という任務よりも「手柄を立てる」ことを彼女は意識していました。「民間人を危険にさらした」と署長に怒られてるときも「お言葉ですがそれはカビた玉ねぎではありません」と空気を読まずに発言するなど、結局自分のことしか見ていないのです。

 

ニックについて

 それに対してニックは「諦念する正義の体現」でして、かつて持っていた正義の心をくじかれたことで「何をしても無駄」という学習をしてしまっていたのです。本当はやりたいことをやりたいのに、周囲に否定されることで萎縮するパターンは意外と世の中多いです。ずるがしこいというより、人の顔色を見ながら育ったせいで相手の言ってほしいことを先回りして言うことが出来るという、割と自分のことしか考えていないジュディと対照的なキャラクターです。

 

 ニックは周囲をよく見ていないジュディ(だからセメントに足を突っ込むわけで)を当初は適当にあしらっていましたが、ボゴ署長をはじめ「ウサギだから出来るわけがない」と囲まれる姿を見て、更に「キツネが信用できない」ということを聞いてジュディを助けます。「誰かを助ける」ということがしたかったはずのニックの心境の変化がその後のシーンで語られます。ここの展開は本当に素晴らしい。

 

種族間の差別とバリアフリー

 一度話をズートピア全体に広げると、この都市の多様性がかなり進んだものだと言うことがわかる。カバ専用の水路やネズミ専用の通勤路、キリン用のシューターなどもある。この辺を人間の社会として考えると、ズートピアは人種の他に身体的なバリアフリーを解消している都市にも見える。電車には大きい動物と小さい動物と別の入り口が用意されているし、建物や食べ物もそれぞれの種族に合った大きさのものがある。

 

 ただし、ニック登場時のゾウの店でのやりとりを見ていると心のバリアフリーは人間のそれよりも非常に根強いのかもしれない。おそらくあの店はゾウなどの大型の動物を相手にしているので、ニックのような小さいキツネは対象外ということで冷たい態度をとったのだろう。実際にあんな大きなアイスキャンディを溶ける前に「坊や」が食べられるとは思えない。だからと言ってあれほど冷たい対応をする必要もなかったわけで、やはり小さいものを侮ってしまうという心理の表れなのだろうか。

 

クロウハウザーとフラッシュ

 そんなバリアフリーな空間と心理的な壁を描いたズートピアを象徴するようなキャラクターが、クロウハウザーとフラッシュだろう。クロウハウザーは警察署の受付をしている「デブのチーター」で、非常におっとりとしている。ニックが「キツネはずるがしこい」という固定観念に諦めてしまったのとは対照的に、クロウハウザーは「ドーナツが好きでだらしない」というお役所警官の典型ではあるけれど、すらりとして足の速いチーターという種族のイメージからは程遠い。おそらく種の固定概念を一番打ち砕いているのは彼だろう。

 

 それから忘れてならないのは、おそらくズートピア本編の中で一番笑いを持って行っただろうナマケモノのフラッシュだ。彼は免許センターで働いていて、不審な車のナンバーを調べるのに夜までかかってしまったのだ。「職員がナマケモノ」というのはアメリカの免許センターなどのお役所を皮肉っているという見方が多いけれど、自分は初見時に「これは弱者でも立派に社会に出ているという暗喩ではないか」と思いました。ナマケモノは生まれつき動作が遅く、きびきびと動くことが出来ない。しかし、ズートピアの住人は彼らの特性を受け入れて、免許センターという大事な仕事を与えている。本編ではギャグテイストで描かれているけれど、急いでいるとは言ってもフラッシュのペースに合わせないジュディに観客はよくない感情を持ったと思う。ナマケモノでなくても周囲のことを気にしないジュディなのでこの辺は流れ通りだと思うけれど、例えば障害者やお年寄りや小さな子供に対して彼らのペースを尊重すると言うのは本当に大事なんだなぁと思いました。

 

「許す」ということ 

 物語は核心へ進み、事件をひとまず解決の方向へ持っていきます。そこでジュディは猪突猛進のまま会見に挑んで、ニックに対して致命的な発言をしてしまいます。結局ジュディはニックを認めていながらも「周囲を見ない」というところはまだ自覚が出来ていなかったようで、放り捨てられた応募用紙と警官バッチのシールを見てやっと「取り返しのつかない失敗をしてしまった」と後悔するのです。もっとも、ドーナツがビッグの娘にぶつかっていたら彼女はもっと早い段階で後悔することになっていたでしょうけれど。

 

 その後「そんな私が警官など出来るわけがない」ということで一旦田舎に引っ込むことになります。ところが新事実が明らかになり、ジュディは「自分が正しいと思っていたことがそれほど正しくなかった」ということを正直にニックに謝りに行きます。この辺りで面白いと思ったのは、どちらも謝罪を言葉だけで済ませたと言うことです。最初の謝罪はギデオンからジュディへの謝罪、その後にジュディからニックに対しての謝罪です。

 

 まずギデオンは「ずっと謝りたかった、あの頃は自信がなかった」と言います。この台詞は『モンスターズ・ユニバーシティ』のサリーを思わせます。要は尊大な態度をとるのは自分に自信がないからだというのが普遍的な「いじわる」なんだと思います。おそらく以前の周囲を気にしないジュディであればギデオンの心理を図ることもなく、この謝罪は通じなかったのでしょう。しかし、この謝罪のときジュディはニックを傷つけた後でした。そして素直に「私も似たようなものだから」とギデオンを許します。

 

 その後、ジュディはニックに対して「ひどいことを言った」ということを涙ながらに伝えます。序盤では「私はまぬけなウサギじゃない」とニックにきっぱりと言っていましたが、今度は「私は、まぬけなウサギ」ということを認めていました。完全な人格があるわけではなく、何かをするということは誰かを傷つけることに繋がる可能性があるということをしっかり自覚したのです。そして傷つけたことも傷つけられたことのあるニックは、素直にジュディを許します。お互いを認めるということは、お互いを傷つける可能性を許容し続けるという構造! 「ごめんね」「いいよ」で済めばこの世の中はもっと快適になるはずなんだろう。この一連の「許す」という関係が非常に繊細で、こんなに素敵な話が作れるんだなぁと感心しました。

 

何にでもなれると信じていたマイクとジュディ

 この「なんにでもなれる」テーマで一番最初に思い出したのがやっぱり『モンスターズ・ユニバーシティ』。外見がちっとも怖くないマイクが怖がらせ屋になろうと尋常でない努力をするのだけれど、結局どんなに頑張っても外見が怖くないから怖がらせ屋になることはできなかった。ジュディも「にんじんを作るだけのまぬけなウサギ」から脱却しようとするけれど、結局「まぬけなウサギ」という点から逃れることはできなかった。ウサギはどうしようもなくウサギで、キツネにもバッファローにもなれない。

 

 でもジュディは「ウサギである」ことからも脱却できると信じていたし、それが正義であると思っていた。フィニックに「キツネでもゾウになれる」ということを言っているのは、子供向けの話と言うよりおそらく彼女自身に「いつかはウサギでもゾウに負けない」ということを言い聞かせていたのではないだろうか。しかしフィニックは自分の姿を受け入れて利用する詐欺師で、己のことをよく知っているからパオンパオンの着ぐるみを着ることができた。

 

 この辺の「己が何者であるかを悟る」系の話というと他に『トイ・ストーリー』が思い浮かぶ。バズが「実はおもちゃである」と認めたときの気持ちと、それを受け入れてウッディと行動を共にするシーンは小さいながらも通過儀礼を描いていて、とても好きだ。今回の「わたしはまぬけなウサギ」というのは夢を諦めなかったために地位を得ることができたジュディにとっての初めての挫折だったのかもしれない。

 

弱者でも悪役になる

 ベルウェザーが市長になったあたりから「こいつ怪しい」というオーラがムンムンだったわけなのですが、今回のディズニー・ヴィランズはおそらく史上最弱の部類に入るでしょう。しかしこれも「固定概念」の逆転の発想で「かわいらしくて弱い見た目の奴だからと言って善良であるわけではない」という強烈な皮肉が入っています。

 

 ベルウェザーがどんなひどい仕打ちをされていたのかは本編からは図りかねますが(市長に怒鳴られているシーンがあるけれど、事件の動機に結びつくかどうかと言われればとても弱い)、彼女もまたジュディの裏の顔で「私の正義のためなら周囲はどうでもいい」の体現だったのでしょう。ジュディにとっての「より良い世界」は当初「ウサギの私でも活躍できる世界」で、ベルウェザーの目指した「より良い世界」は「草食動物が肉食動物を気にせず活躍できる世界」で方向性はなんとなく同じなのです。ジュディがイタチやキツネに偏見を持っていたように、ベルウェザーは肉食動物全体に偏見以上のコンプレックスを抱いていました。

 

 この辺は人種差別のほかに、過激なマイノリティの解放運動の皮肉なのかなぁと思いました。ジュディはキツネという種族を超えたニックという個人を見ていたのに対して、ベルウェザーは最後まで草食と肉食という枠でしか考えていませんでした。つまりマイノリティの運動は下手をすると「種を認めてもらいたい」という要望が強くなって「他の種を弾圧する」という危険性があるわけです。ジュディとニックは個人間でこの問題を解決したのに対して、ベルウェザーは無理矢理種族の闘争にしようとしました。そのせいで「大勢の肉食動物が苦しむ」世界を作り上げようとしたわけです。日本で言うと痴漢冤罪問題なんてありますね、あれと一緒です。

 

 まとめると「自分の主張のために他を認めない」というのは明確な差別の入り口であるわけです。そこに社会的な強弱は関係ない、ということをズートピアはずばっとやっちゃったわけです。すごいなぁ。

 

野暮なツッコミ

 そんな一見すげぇバリアフリー空間を体現したズートピアなのですが、非常に野暮に思える点がありまして。それは「ウサギの警官」というものを「なれっこないという固定概念」として採用しているからなのですが、あれだけ多様性を認めているズートピアなら絶対ネズミサイズの警官が必要だと思うのです。最初は「身体の大きな動物ばかりだけどチビのウサギが頑張る話」だと思うくらい、警官はみんな大きくていかつい動物ばかりなのです。あれじゃイタチみたいなの捕まえられないじゃん……なんて思うわけで。

 

 それから最後まで解決しなかった問題に「駐車違反取り締まりをくだらない仕事」という扱いにしてしまったことがありまして。駐車違反の取り締まりも大事な仕事だし、新人警官がいきなり事件を担当できるとは思えない。ボゴ署長の判断は間違ってはいない。どこかで「駐車違反取り締まりも大事な仕事」というメッセージがあればいいなぁと思ったのですが、物語の都合上そこまで手が回らなかったみたいです。下積みが大事だと思うんだけどな。

 

結構頑張ってると思うボゴ署長

 先ほどクロウハウザーとフラッシュを上げましたが、他にも魅力的なキャラクターはたくさんいます。個人的に感情移入したのがボゴ署長。最初は一見抑圧してくる悪役のように描かれますが、彼は別にジュディを理由もなく侮っていたわけではないのです。「キツネは信用できない」など偏見はありましたが、少なくともジュディに対しては「成果の出ていない新人」として接していました。それに事件が解決した後は、ジュディを「有能な警官」と認めています。

 

 それに今作で一、二を争う黒いギャグ「ミュージカル映画のように歌を歌っても夢は叶わない、ありのままで」というのは明らかに『アナと雪の女王』からの皮肉ですね(英語でもしっかり「Let it go」と言っているそうです)。確かにレリゴーするのは大事なのですが、レリゴーするだけでは夢はかなわない。「ありのまま」の姿を見せることによって今回のジュディのように、意図せず誰かを傷つける可能性もある。『ズートピア』はレリゴーの先を描き切ったと思うのです。あと、個人的に「ミュージカル映画のように歌っても無駄」というところで脳内に『ダンサー・イン・ザ・ダーク』がよぎりましたが、気のせいでしょう。

 

その他忘れてならない面々

 あと忘れてならないのはヌーディストサークルの面々です。このシーンでディズニーは本当に「やりたい放題」やったなぁという感じです。デカいゾウがV字バランスとってるのが絵面だけで本当に笑える。動物だからお子様が見ても平気なんだけど、その動きが無駄に官能的と言うか、見せつけていると言うか。キリンのお尻をあんなに性的に見えるようにしちゃうディズニー、ヤバイ。

 

 それにズートピアゴットファーザーことミスター・ビッグのシーンは本当に面白い。個人的にミスター・ビッグがゴットファーザーというよりボディーガードがホッキョクグマというところにロシアンマフィア的なものを感じで「黒いなぁ」と思いました。フラッシュの笑顔シーンの次くらいに「ミスター・ビッグの娘の結婚式を見守るホッキョクグマ親衛隊」は劇場で受けていたと思う。もう絵面が面白すぎる。

 

個人的に気付いたこと

 これだけ書いてもまだこの映画について語れるなぁというくらいに、この映画は物語の構造や隠喩、表現の方法などがかなり詰め込まれています。あと全体的に気になったのがジュディの呼称で、ニックからはずっと「にんじん」と呼ばれ続けます。ルナールの『にんじん』が関係あるのかどうかわかりませんが、とりあえずジュディは虐げられるものの象徴というなんかこじつけになるかなぁなどと考えました。

 

 それから映画と全く関係ないのですが、「虐げられた経験が悪役を生む」という構造で真っ先に思い浮かぶのは『トイ・ストーリー3』で、ロッツォの闇堕ちシーンが本当に好きでベルウェザーにもニックレベルで似たような描写があればもう少し複雑な話になったのかなぁと思いました。今のままでも十分複雑なのですが。

 

 なおディズニーでウサギとキツネと言えば『ジッパ・ディー・ドゥー・ダー』で有名な『南部の唄』なのですが、あちらは「黒人と白人がこんなに仲良くしていなかった」という歴史表現が原因でDVD化がされていない。これは何かを意味しているのだろうか。

 

まとめ

 ここまでざっと8000字。なんでこんなに長くなったんだろう。それだけ『ズートピア』という作品が見るところの多い、面白い映画なんだろう。ただ劇場で2回鑑賞したのだけれど、2回目に特に新しい発見がなかったので物語としては結構単純だ。でも面白い、というのはやっぱりすごいんだと思う。何より絵面で笑わせてくる。それだけでもう十分お腹いっぱいな「動物擬人化」の真骨頂だと思うのです。長くなりましたがおわり。