傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「ビオレタ」

 寺地先生のデビュー作。素敵な装丁にクラクラしちゃう。未読の方にはちょっと危険な感想文ですのであしからず。

 

ビオレタ (一般書)

ビオレタ (一般書)

 

 

【あらすじ】

 一方的に婚約を解消されて泣いているところを拾われた妙は、菫さんの雑貨屋「ビオレタ」で働くことになる。その店は菫さんの手作りの雑貨のほかに、棺桶も売っていた。棺桶と言っても人や動物を入れるのではなく、物や思い出を埋葬するための箱を売っているのだそうだ。菫さんをはじめ、ボタン屋の千歳さんに菫さんの息子の蓮太郎など風変わりな人物に囲まれ、妙は埋葬と人生の再出発について考える。

 

【感想】

 寺地先生と言えば「悩みは特にありません。」でモヌモヌしている日常を書かれることで有名なあの寺地先生です。そんな寺地先生がこんな立派なご本になるなんて、ぼかぁ感激です。

 

 で、『ビオレタ』ですが面白かったです。最初のざっくりした感想は「これは女性のおはなしだなぁ」ということです。結婚や出産、子育てを通して見える「オンナの幸せ」が果たして「幸せ」なのかということを恋愛に敗れた妙を中心にお話は進みます。この物語にはたくさんの「母」が登場します。平凡な母親代表として妙の母、イレギュラーな母の代表として菫さん、そして負の面を持った母の代表として千歳さんの母親。他にも妙の姉や義理の妹、ベビー服売り場で見かけた「彼女」など登場する女性のほとんどに「母」の面影を見ることが出来ます。ところが主人公の妙だけまるで「母」の要素がなく、物語にも象徴的に描かれるように非常にふらふらとしている。『ビオレタ』はそんな彼女が「軸」を持つお話なのだ。

 

 「女は海」って歌っていた人がいたけれど、この物語風に言うならば「女は庭」なのではないだろうかと思う。「イスリロン」というスバラシイ言葉も出てくるけれど、要は心の休憩所なのだ。母親は命を宿して子を育み、いつかは母親の庭から子供は出て行かなければならない。そのために必要なのが妙の探していた「ぶれない何か」なのではないだろうか。自分の人生の中に他人の人生が割り込んでくると、ぶれぶれの精神では振り回されて庭を手入れするどころではないのだろう。だからぶれぶれの精神の庭に生まれ落ちると必然的に自分の心に庭を耕すのかもしれない。

 

 この本の特徴をあげると、意外と「スピーディ」であるということだと思う。テンポのいい短文が連続してひとつの物語を形成していて、読んでいるとその軽やかな疾走感が気持ちいい。だから一気に読めてしまう。この章立てしていない塊の生ハムみたいな感じが面白い。

 

 あと、そのスピーディな文章が非常にユーモアに富んでいるところも面白い。寺地節全開の最初の4行で一気に物語の世界に引き込まれるし、個人的に法事で錯乱している自分を想像している妙の部分はクスリどころか声に出して笑ってしまった。でもこのユーモアは生活からまるで逸脱していなくて、実際にどこかで誰かに降りかかってもおかしくないことだと思うとそこに作者の腕を感じずにはいられない。

 

 ……と、こんな感じでいつも通り感想文を書きました。他の方のレビューみたいにふんわり書ければいいのにと思う反面「てめぇのキャラじゃねぇだろ」という悪魔の声に負けてこんな感じで感想を置いておきます。

 

 

 ひとことでまとめると、とっても面白かったです。寺地先生の次回作に期待ですね。