傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「カッコーの巣の上で」

 鬱エンドかと思えば、意外とさわやかなオチでよかった。

 

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【あらすじ】

 マクマーフィは刑務所の労役から逃れるために精神異常のふりをして精神病院に入院する。ところがそこは厳格な婦長が取り仕切る完全な管理生活で、自由を求めるマーフィは何かと反発する。心を閉ざした聾唖のインディアン・チーフにも平等で接するマクマーフィの態度などから次第に他の患者も彼に迎合し、病棟内の雰囲気も次第に変わっていく。

 

【感想】

 なんとなく最初から「これはチーフの物語だろうな」と思っていたのですが、やっぱりチーフの物語でしたね。原作では彼の視点で物語が語られているそうで、ラストの観点からしてもやっぱり主人公はチーフなんですよ。

 

 それにしてもジャック・ニコルソンは魅せる。精神異常なのかそうでないのかぎりぎりのさじ加減や仲間を引き連れていく頼れる男の面を見せた上でのラストの生気のない目はかなりドキリとします。120分も破天荒に暴れまわった彼のラストがあの光のない目玉と言う結末は「どんなにあがいても既存社会は崩れない」というアメリカンニューシネマらしい後味を演出していました。『ファイブ・イージー・ピーセス』では逃げ続けることで支配からの脱却を図りますが、今作は戦って死んだものの話なんでしょう。

 

 この作品の面白いところは、誰一人としていわゆる「悪人」が存在しないところにもあると思います。管理主義の象徴のような婦長も職務を全うしているにすぎず、マクマーフィも自由すぎるだけであって、見捨てられていたチーフを平等に扱うなど根っからの悪人ではない。他のメンツも精神を病んではいるが基本的に悪人じゃない。じゃあ誰が悪いのかと言えば皆が悪くないと言えるし、ビリーに関して言えば皆が少しずつ平等に悪い。騒動の種を持ち込んだマクマーフィも悪いし、責め立てた婦長もよくなかったし、衝動が勝ったとはいえ最悪の選択をしたビリーもよくなかった。それだけのことだ。

 

 今でこそ「管理社会は悪、自由こそ正義!」と言っているけれど、その自由の価値が飽和状態になっているのがこの映画より後の時代の今だと思う。いわばマクマーフィは自由の権化で、規則なんてクソくらえの超自由人だ。その自由がチーフに対する優しさにつながっているのだけれど、反面やっぱり他人に迷惑をかけることは致し方ない。時代は進んで単純な「自由と束縛」の二項対立では済まなくなっているはずで、過激な自由を歌うから過激な束縛が必要とされていると感じる。結局インターネットの過激な議論なんてこの精神病棟のミーティングと何ら変わらない。

 

 結局「自由」の象徴であるマクマーフィは「措置」という形になって「管理社会」の大勝利かと思えば、「自由」に優しくされた「束縛」が新たな「自由」を求めると言うなかなか気の利いた結末であった。チーフは真の意味でマクマーフィの魂を「自由」にしたんだという解釈はなるほど、と思った。あれが彼なりの精一杯の「優しさ」だったのだろう。

 

 舞台はほとんど病院の中だけれど、途中で病棟を抜け出すシーンなどある意味痛快な場面はたくさん存在するし役者の演技を見ていて楽しい映画だと思いました。こういう現代社会の問題を浮き彫りにするような現代邦画ってもう作られないんだろうか。こういう視点で現代の日本を見てみたいかもしれない。