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傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「ダンサー・イン・ザ・ダーク」

 鬱だ鬱だ鬱映画だ後味が悪いこんなひどい映画観たことないということで有名な映画をやっと見ることができました。気が付いたときはいつもレンタルされていたのでやっぱり人気なんだろうな。

 

ダンサー・イン・ザ・ダーク(Blu-ray Disc)

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【あらすじ】

 チェコ移民のセルマはミュージカルが大好きで、ひとり息子を育てるシングルマザー。彼女は先天的な目の病気でやがて失明し、同じ血を引く息子を失明させないために内緒で手術代を稼いでいた。しかし視力の衰えを誤魔化して工場で働いていたため、ミスをしてしまう。過酷な試練が次々とセルマを襲うが、彼女は大好きなミュージカルの世界に逃避することで困難をやりすごそうとする。

 

【感想】

 しばらく映画感想書いてなかったのですが、別に映画観てないわけじゃないのです。適当な午後ロー系は結構見たし、感想書きたいっていう映画もあった。だけど、だけどコイツを片づけないとどうにも進まない気がした。でもこいつはなかなか片付かない。なんでこんなに感想が書きにくいのか、そして書いちゃいけない気がするのかわからないけれどとにかく『ダンサー・イン・ザ・ダーク』という作品には怨念のような暗い感情がだらだら溢れているような気がしたのです。

 

 実際他のネット上にあるレビューを見てみたいと思ったのですが、予想外にきちんと書いてあるものが少ない。ただ「鬱だ」「悲惨だ」「もう二度と見たくない」みたいな感想がごろごろしている割に「セルマの心情はこれこれこうでないのか」みたいなものが少ない。だから自分で書く。辛い気分になっても書く。そうでないとこの映画を供養できない。

 

 で、これはきつい。評判通りきつい。でも、ただ「鬱だ後味悪い」で片づけることができない問題がたくさん横たわっている気がするのです。

 

 まず、セルマの過酷すぎる人生なのですが正直言って「理不尽」とはとても思えないのです。手術の費用を稼ぐために無茶をしたり嘘をついてまで息子に失明のことを話さないことも親心としては十分親心なのです。でも、セルマは「夢見がちな少女」としての面が大きかったということです。とてもじゃないけれど、「母の愛」なんていうものには見えない。「大好きなお人形を治す」という感じにしか映画からは見えなかった。それもこれも「過酷な現実から逃れて空想にひたる」という行為がひとつ罪深いし、正統な理由があるものを自分勝手に偽装したことは全て「自業自得」なのである。

 

 セルマは非常に不器用な人間関係しか築けません。弱みを人に見せたくないということもあったのでしょうが、もう少し誰かを頼ったり自立したりしなければいけなかったのだと思います。個人的に前半の「私たち仲良しだよねー」と確認しているセルマに周囲が「うんうんそうだね」という人間関係が痛々しくてみていられなかったです。おそらく誰もセルマを「自立した人間」と思っていなかったのでしょう。工場の同僚たちも彼女を「少女」として扱っていたし、警官婦人にいたってはおそらく「引き立て役」としていたところもあるだろう。彼らの日常から、本気で心の交流が感じられない。セルマはそのくらいの「こども」だったのだろう。

 

 どこかにも書いてあったけど「もっと利口に立ち回ればここまで深刻にならなかったものを」というところだ。正直この映画はただの理不尽映画というより「愚かだから自滅したものの話」だと思っている。それならば「愚かであるのは罪なのか」というのが最後のシーンに繋がっていると言う気もする。「バカは死ななきゃ治らない」とは酷すぎる言葉のようで、多分極度のお人よしのセルマのことを言っている気がした。

 

 そしてこの映画の最大の魅力のミュージカルシーンなのですが、全てセルマの「現実逃避」の表れなのでしょう。工場で辛く働くシーン、眼が見えないことを悟られそうになるシーン、殺人を犯して逮捕されるシーン、裁判のシーン、そして処刑のシーン。全てセルマでなくても「現実逃避」の対象になりそうな場面だ。彼女にとってミュージカルとは逃避の材料であった可能性があるとすると、もう「美しい心象シーン」などではなく「ぼくのかんがえたさいきょうのうつくしいいシーン」でしかない。だから映像は限りなく美しいし、セルマの歌も響くのである。

 

 特に死刑執行寸前のミュージカルシーンは何度見ても涙を誘う。全てを失ったセルマに残されたのは希望でも絶望でもなく、妄想への逃避だけなのだ。息子のために良い母親であろうとして、最初から彼女は現実と向き合っていなかった。全てを自分の頭の中だけで片づけてきたので、周囲に対する信頼がお互いになかった。その結果が件の殺人シーンであり、裁判シーンであるのだと思う。

 

 この映画の特徴として「ドキュメント風の映像」というのもセルマに対する感情移入を難しくさせる原因なのかもしれないと思う。現実のあるがままの映像と妄想の色鮮やかなミュージカルシーンのコントラストが際立って、余計妄想がセルマにとっていいものか、悪いものなのかわからないというところです。

 

 そして彼女の最初で最後の晴れ舞台のシーンの「メガネを渡すことで手術の成功を伝えた」という解釈。これは自分にはどうにもしっくり来ないのです。ここまで悲惨な選択肢をこれでもかこれでもかというほど詰め込んだ映画で、この結末はそれでいいのかという感じなのです。メガネを渡すのは死にゆく彼女に対するポーズであった可能性もあるし、メガネが必要なくなった、つまり手術は失敗したという暗示にも見えるのです。ここで「最終的にハッピーエンドで良いの?」と疑心暗鬼になるくらい悪い方向悪い方向に向かって来たのに最後で「やっぱりめでたしめでたしなの?」という変な違和感が残ったのです。

 

 で、この映画が好きか嫌いかと言えばどちらかというと好きです。とにかくミュージカルシーンの鮮やかな妄想が映像的にも音楽的にも楽しい。それにセルマに対する感情移入が出来るか出来ないかの絶妙な脚本も面白い。最後の最期まで潔く映像にしたところも面白い。なんていうか、面白かったです。でももう一度見たいかって言われたら、少し時間を置いてからでないとみられないなぁ。かなり強烈。でも一度見たら忘れられない。そういうインパクトも映画には大事な要素だと思うのね。