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傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「マレフィセント」

洋画 ドラマ
 これはお姫様の物語ではない! 繰り返す、これはお姫様の物語ではない!
 アンジェリーナ・ジョリーからの挑戦状だ!
 

【あらすじ】

 妖精の国ムーア国妖精マレフィセントは、人間の少年ステファンと仲良くなり、16歳の時に真実の愛のキスを交わすが、ステファンの気持ちは離れて行ってしまう。ムーア国を奪おうとする人間と戦うマレフィセントであったが、王位に目がくらんだステファンはマレフィセントの気持ちを利用して彼女の自慢の羽根を切り取り、次期国王に収まる。マレフィセントは怒り狂い、ステファンの娘オーロラに永遠の眠りの呪いをかける。呪いを解く方法は、真実の愛のキスをすること。マレフィセントもステファンも、真実の愛などないことを知っています。呪いを解く方法はあるのでしょうか。
 

【感想】

 既に以前ネタバレなし感想と言うか感動した部分は書いたので、今回はガッツリ語るよ!
 ネタバレしまくりますので鑑賞後を前提にどうぞ。


 元々「ディズニープリンセス」という存在自体が好きじゃないんですよ。お姫様は好きですが、現代のプリンセスは女性の社会的自立というテーマと戦わせられていて気の毒です。ディズニーでいうと『美女と野獣』のベルなんか顕著な「学問をする自立した女性」です。ただ、90年代前半ということでまだ「女の幸せは結婚」というオチに落ち着いています。「自分で好き合う人と結ばれる」から始まり、『ムーラン』では自分で戦ったりしていますし、『魔法に魅せられて』では「かつての受動的な女性の愚かさ」をセルフパロディする始末。とうとう『アナと雪の女王』ではついに婚姻が幸せな結末ではないことを描いてしまいました。「女は守られるべきものではないのよ!」というのはわかるのですが、イデオロギーが強すぎてぼかぁ胃もたれ起こしそうだ。

 だけどなんで「女性が自立するのよ!」という主張が鼻につくのかこの映画をみてやっとわかりました。「女性が自立するのよ!」というテーマの裏には「男なんて信じちゃダメ!」というものが付いて回っていたのですが、今までのディズニーではそこまで言及できていませんでした。ところがこの『マレフィセント』ではこれでもかこれでもかというほどに男をケチョンケチョンにしています。ヤッチマッタナー! と劇場で一人感動していました。

 あらすじをちょっと追いかけましょう。妖精マレフィセントは人間の少年ステファンと知り合い、愛し合うようになります。ところがステファンはマレフィセントを捨て、人間の欲望のままに生きるようになります。再び訪ねてきた彼をマレフィセントは許しましたが、ステファンはマレフィセントの力の象徴の羽根を切り取っていきます。捨てられて一人で淋しい女のところにかつての恋人が現れて「やっぱりお前がいないとダメなんだ」と優しくしてくれます。昔を思い出して嬉しくなる女。だけど男の目的は「そんでさぁ、金貸してくんない?」みたいなそんな感じ。めちゃくちゃ生々しい。

 普通に考えれば「背中の羽根=自由の象徴」ですかね。それを奪い取っていく男性は女性から自由を奪った、と考えるとよいのでしょうか。というか、眠らせて女性を傷つけるという行為が性行為の象徴にしか思えません。そうです、マレフィセントはレイプ被害者だったのです。そりゃ怒り狂いますよ。ちなみにステファンは切り取った羽根を王様に見せることで「魔女をやっつけたから跡継ぎにしてちょ」と王様の娘と国を手に入れちゃいます。どんな言い分があったとしても「最低!」のレッテルはなかなか剥がれそうにない設定です。

 マレフィセントは「真実の愛など(自分がそうだったから)存在しない」と言ってステファンの娘に永遠の眠りの呪いをかけます。ところが、ヘボ妖精の子育てにイラついたマレフィセント。こっそり魔法を使って「呪いが効果を及ぼすまで死んだらアカン」と子育てに参戦します。そこで活躍するのが本作オリジナルキャラクターのカラスの使い魔ディアヴァル君。思わず劇場の女性のハートをくすぐるくらいにはかっこよいです。

 そして物語はこのあたりから様相を大きく変えてきます。それまでは「男に傷つけられてきた女性の憎悪と悲哀」に満ちた作風だったのですが、無垢な女の子が登場することで画面が華やかにマレフィセントの心がほどけていくのがわかります。たぶんこれ、男の子でも同じようになっていただろうと思います。「男性の暴力によって傷ついた女性の心を癒すのは自分よりも弱い、庇護するべき存在」なんでしょうか。すげぇエゲツナイこと言ってますねディズニーさん。

 この辺、アンジェリーナ・ジョリーとこの映画の背景を知っているととっても面白いです。アンジーと言えば、3人の養子を育てているお母さんです。「血は繋がっていなくても、私はあなたのお母さんなのよ」というメッセージとアンジーの母性をオーロラ登場シーン以降、映画全体からガンガン感じました。結局オーロラはマレフィセントに育てられたようなものです。「育てているうちに情が移った」なんて野暮なもんじゃないでしょう。彼女の傷ついた心は無垢な少女によって癒されたために、愛情を取り戻したんじゃないでしょうか。途中までのわかりやすいツンデレシーンもなかなか素晴らしいです。

 ちなみに、幼いオーロラがマレフィセントに駆け寄るシーンを撮影するときに、他の子役ではマレフィセントの表情を怖がって演技ができなかったので、実子のヴィヴィアンが演じたようです。さすがにどんな恐ろしいメイクをしていても、ママは怖くないんですね。

 さて、大きくなったオーロラは真実を知ります。自身がプリンセスであること。「ゴットマザー」として慕っていたマレフィセントが呪いをかけたこと。絶望した彼女は勝手にお城に行って、勝手に針に刺されて永遠の眠りについてしまいます。「ステファンの娘」は憎悪していたマレフィセントですが、「オーロラ本人」は愛していたのです。呪いを解こうと通りすがりの王子を連行するなど頑張りますが、失敗に終わります。一度の憎悪に身を任せると、取り返しがつかないってことでしょうか。

 そして問題のシーン。やはり通りすがりの王子では「真実の愛」 など与えられないのです。そう、愛とは見えない気が付かないもの。本当にオーロラを愛しているのはその辺の男じゃなくて、「お母さん」であるマレフィセントなのです。血のつながりはなくても、たとえ過去に傷つけたとしても、「お母さん」は子供にいつでも真実の愛を与えているのです。そういえば「ピーター・パン」で母親と言う存在をやたら神格化していた以外、基本的に母性と言うものをディズニー映画では見かけません。女性はだいたい少女であり、守られるものか運命を自分で切り開くものです。ここまで「母親」を全面に出したメインキャラクターはあまりいません。親子関係を描いたものもありますが、大体父子の関係だったりするので微妙です。「母と娘」というテーマの作品自体少ないかもしれません。その意味でこの映画は随分と冒険している気がします。

 そしてとどめのクライマックスで、マレフィセントは愛する娘の手により「背中の羽根=自由の象徴」を男の手から取り戻します。それでもステファンを最後まで傷つけることはしなかったマレフィセントでしたが、ステファンは彼女を殺そうとして自滅します。専門用語で言うとガストンエンドです。どこまで「男性」の株を下げれば気が済むんだディズニー! もう許してやれよ!

 ラストは「男性の脅威が去った国」で妖精と人間が和解するところでおしまい。新しく双方の国の女王をオーロラにして、通りすがりの王子と仲良くできればいいねという感じ。つまり「男なんてどうせ金だの領地だのばっかりにこだわるから、母系社会を取り戻しましょう!」ということですかね。なんて辛辣なメッセージなんだ!

 なんかもう内容がすごすぎて映像の感想が一切なかったのですが、映像はキレイです。よくあるジグソーパズルの世界をそのまま動かしたようなそんな感じです。あとマレフィセントの飛翔シーンや人間との戦争の場面は迫力たっぷりで、さすがディズニーさんという感じです。安定したディズニーの映像も見れて、『アナ雪』で説明しきれなかった真実の愛の話も補完されていて、とにかく見た後の衝撃は結構大きかったです。午前中「オール・ユー・ニード・イズ・キル」を観たばかりだったのに全て吹っ飛びました。やべぇディズニーやりやがったな、と。

 この作品は『アナ雪』で説明ができなかった部分を補った問題作です。「男はいらないのよ」ではなく「男は女を傷つけていたのよ」をはっきり言ってしまったわけです。ますます映画界の男性排斥が進みそうですね。とにかく「男性」をきっぱりと断罪した、ある意味小気味のいい作品です。女性は見に行くといいでしょう。男性は、どうだろう? 映像の美しさとマレフィセントの母性とオーロラのかわいらしさとディアヴァル君の忠実さだけ見ておいて、都合の悪いところは見ないほうがいいかも。

【余談】そう言えば『明日ママがいない』の中で散々「ジョリピの子供になる!」というネタがありましたがそれを踏まえてコレをみるとまた感慨深いものがあります。