傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「ファイブ・イージー・ピーセス」

 ただひたすら無気力な若者を見守る会。

 

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【あらすじ】

 上流階級の音楽一家に育ったボビーは家を飛び出して労働者として暮らしていた。しかし上流階級で育った意識は消せず、カントリー大好きな恋人も妊娠してしまい暮らしに嫌気がさす。姉を訪ねていくと父が病で倒れたという話を聞く。実家に戻ることにするが、恋人も一緒に連れて行くことにする。

【感想】

 共感しちゃダメなんだろうけど、思わず「あーわかるわかる」と言ってしまいそうなジャック・ニコルソンが憎い。70年代のアメリカの「すごーく頑張ってるんだけどなんか違う気がする」の総決算という感じの映画でした。主人公ボビーは上流の空気が嫌だけど、田舎の労働者の暮らしも嫌だ。結局どっちつかずでどちらにも絶望して最終的に何も選ばないで逃げ出してしまう。

 気になったのは「上流階級」の描かれ方がかなり悪者のように描かれていたこと。違う価値観を一切認めようとしない、自己の都合を優先する、基本女の又が緩い、そんな世界をボビーは嫌っていたのだろうと思う。ただ思うのは、音楽はクラシックだけしか認めないというのは本当の音楽一家ではないと思う。ベガスのショーを公然と笑いものにするあたり、何か一族の闇があるのではないかと勘繰ってしまう。

 この映画で実は一番大事なのは、実家に戻る途中で事故にあった二人組のヒッピーを車に乗せるところだ。一人が過激に潔癖な性分で、「清潔なアラスカに行く」「人間社会はゴミだらけだ」「蒸気は水だからキレイ、車は排気ガスを出すから有害」などと現代のオーガニック奥さんも真っ青なナチュラル思考なのである。当時から見てもトンデモ思考にボビーも参ってしまうのだが、実はこの潔癖思考はボビーそのものである。

 ボビーは恋人との生活がなんとなくうまくいかず、実家に戻ることも考えて姉を訪ねている。ところがいざ実家に帰ると居心地が悪くて結局逃げ出してしまう。あちらが立てばこちらが立たず、というのが気に食わず、全部立っていないなら自分が消えてしまおうと思っている。ラストで父に「俺は疫病神だ」と言っているが、実は彼は本当に自分が悪いとは思っていないのではないだろうか。「俺のせいで状況が悪くなるのを見るのは嫌だ」というあたりで最終的に恋人も荷物も捨ててしまったのだろう。そう思う理由は、彼が逃亡を願い出たトレーラーの行き先だ。「寒いところ」に行くのだそうだ。きっと清潔で誰も彼を傷つけない「アラスカ」に行くのだろう。

 全体的に「青春から目を背けてきた」感じのする映画で、後味は最悪ですが面白いシーンがないわけでもありません。ボビーがレストランでトーストを注文するシーンはこの映画では笑いどころのひとつでしょう。かたくなにトーストを注文しようとするあたりも、彼が「絶対俺は間違っていない」というアピールでしょう。

 でも実際チキンサンドの中身抜きでトーストをくれ、という注文の仕方は昔ファミレスでバイトをしていた経験からすると「そういうの割とあるある」としか言いようがない。「かつ重をたまご抜きで、ご飯と別に持ってきてくれ→とんかつとご飯が食べたい」という注文を困って厨房に持っていったら本当に作ってくれて、ちゃんとソースもつけてくれたので意外と相談次第なのかもしれません。あと「チョコレートパフェのチョコレート抜き」とかかなぁ。

 全くの余談ですが、この路線で行くと思いだすのがちょっと多めの団体で来店されたおばあちゃん。炊き込みご飯に魚介類が入っていて食べられないのを厨房に持って行って抜いてもらったときすごいいい笑顔で「おお神よ」と言われ、「それでは本日の糧をいただきましょう」とそのまま団体全員でお祈りが始まったときがありました。たぶんこの団体はボビーの実家みたいな上流階級じゃない。なんかアレな感じだった。とりあえず和食ファミレスにそぐわない光景でした。