傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「サタデー・ナイト・フィーバー」

 ただのトラボルタがフィーバー野郎だと思ったらいけないのです。

 

【あらすじ】

  ブルックリンでくすぶっているトニーの唯一の楽しみは、土曜の夜にディスコで踊り明かすことだけだった。ある日ディスコでステファニーというダンスが上手な女性と知り合う。ワル仲間とつるむだけのトニーと違い、ステファニーは意識が高く橋の向こうのマンハッタンに住もうとしていた。トニーは今の吹き溜まりみたいな生活に見切りをつけてステファニーと一緒に暮らすことを夢見て賞金が出るダンスコンテストに挑む。

 【感想】 

 どうしても「トラボルタが指を突き上げて腰を振っている」イメージしかなさそうな映画なのですが、なかなかどうして立派な青臭い青春映画です。ダンスのシーンが有名なだけあってカッコいいのですが、単純にそれだけで終わらないのです。

 

 まず大事なのはトニーの環境。ペンキ屋で働くトニーと違って兄は神学校に行って神父になっている。父親は定職についていないし母親は口うるさい。ところが兄が神父を辞めて帰ってきて家はお先真っ暗状態。さらに周りのワル友達もロクな奴がいなくて、別グループと喧嘩をしたり恋人をはらませてしまっておろおろしたり、良い刺激はありません。

 

 そんな状態のトニーだからこそ橋の向こうに憧れるステファニーに惹かれていきます。でも、このステファニーも実際ロクな奴じゃなくて、現代でいうと「意識高い系」でくくられちゃう夢見がちな女の子だ。常に「私はあなたとは違う」「今日は業界の誰それと会ってきたのよ」と自慢気に語り、必死でトニーを導こうとしているけれども、トニーの女神としては描かれていない。


 だからこそ一生懸命今の状況から逃れようとダンスに余計熱中するトニー。いきなりワル仲間も意識が低いと見下しがちになり。少しずつ疎遠気味になって、「俺は努力してこの生活を抜け出すんだ!」と変な意味で前向きになっていく。でもダンスコンテスト当日、遠征してきた自分よりも上手なペアを見て、まるで自分が井の中の蛙だったことを知る。地元に花を持たせるためにトニーとステファニーのペアが優勝するけれども、トニーの心は折れてしまう。


 更に恋人を妊娠させたボビーが半ば自殺のように転落死してしまう。このボビーが実は序盤からずっとこの話題で絡むのがリフレインとして用いられていたのが、最後でオチのようになっている。トニーの兄にも「俺父親にならなきゃいけないの?」と絡んでいるところは笑うところのようでちっとも笑えない。中絶は選択肢にない。でも生んでも育てられない。ボビーは仲間たちに何度も相談(と言う名の絡み)していたが、ちっとも聞いてもらえなかった。将来を悲観した彼は悪ふざけの一巻であった度胸試しでほとんどわざと落ちていく。トニーはこのクソったれな人生から逃れる決意をする。

 

 明確に格差社会を皮肉った作品なんだけど、格差の隔たりを「橋の向こう側」と表現しているのが面白かった。労働者やギャングであふれるブルックリンと、清潔なマンハッタンの街。その中間でボビーは脱落していく。ゴミバコみたいな車の中でセックスするのが楽しみの男連中と違って、トニーはその辺が妙に潔癖だった。アネットが迫ってきても「ゴムがないと嫌」と言って拒絶する。後半本当にアネットが包みを見せてリベンジするところは面白いところだけど、そういう倫理観含めてトニーは好きでなかったのだと思う。単純に童貞こじらせてるだけのような気がしないでもないけど。


 ここではないどこかで俺は必要とされているという思いを持っていたのに、ダンスでは勝負に勝って心で負け、親友も何もしないうちに亡くしてしまい、最終的にトニーに残ったのは無力感だった。「無力な中で俺は何ができる」と前を向くまでの序章のような映画でした。


 とにかく全編から強烈な青臭さと埃っぽさを感じる青春映画でした。コメディ色はあんまりないし、激しいダンス対決とかそういうのは割と二の次なのでそういうのを期待してみるとガッカリするかもしれない。何よりタンクトップ一丁の汗まみれのマッチョマンに全身グリーンピースをぶつけられたみたいに後味が本当によくない。カッコいいのはOPだけなので、カッコつけのOP詐欺と言ってもいいです。ただし、自分が何にもできないと思っているカッコつけマンにはちょうどいい映画かもしれません。