感想「魔法少女まどか☆マギカ叛逆の物語」
やっと逢えたね。
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語(通常版) [DVD]
- 出版社/メーカー: アニプレックス
- 発売日: 2014/04/02
- メディア: DVD
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【あらすじ】
暁美ほむらは魔法少女として仲間とナイトメアと呼ばれる存在と戦っていたが、ある時ほむらは気が付く。この世界はあり得ない、架空の世界であると。一体誰がこのような空間にほむらたちを閉じ込めたのか。そして、存在しないはずのまどかを見てほむらは決意する。
【感想】
これは本編見た人はみんな見た方がいい。あそこまで完結させた物語をもう一回きれいにまとめたところは本当に素晴らしい。あとイヌカレー空間が好きな人は劇場で見るべき。物語の内容より巨大イヌカレー空間にしびれてました。あとポストカードはめがねほむほむでした。かわいいねメガほむ。
○最初の茶番劇
本編を見ている人なら、この「魔法少女ごっこ」が茶番だということにすぐ気が付くはず。五人で力を合わせてナイトメアと戦うなんて、本編では絶対ありえないことですから。ここはポップな空間に酔いしれることと「理想はこういう魔法少女だよなー」と思うことが大事。魔法少女が痛い目を見ることしか興味がないのなら、退屈でしかないと思う。AVでいうところの自己紹介パートって奴だと思った方がいい。
途中の変身シーンとケーキは、完全にギャグと悪ノリでやっていると思われるので無駄かもしれないけど許してやってください。特に変身シーンはTVシリーズではできないだろうし、ここぐらいでしか遊べないのだろうなと邪推。あとケーキシーンはべべが全体的にかわいいから許す。
それで茶番が茶番で進めば進むほど「この世界はおかしい」という理屈にたどり着く。そこからが実は本題の始まりでここまでが壮大な前振り。でもさりげなく怖い部分もあったり。このパートでキュウべぇが一切喋らないのが怖かった。あいつは喋ってないとかわいくない。怖い。
○真実に気が付いてからの第一形態まで
「叛逆の物語」ということで叛逆するのはほむらなんですが、ほむらがこの世界の異変に気が付くあたりから「まどマギ」ワールドに突入してくる。急にモブの顔がぼやけたり、外の世界に行けなかったり、画面がおどろおどろしくなってくる。本編からまどマギを見ていると「きたきた!」と思うかもしれないけれど何にもわかんないで来た人は「ぽかーん」だろうなぁ。(ナイトメアの時点で子供にはトラウマものだけど)
しかもほむらVSマミのガチバトルが発生。これ魔法少女じゃなくてマトリックスの世界じゃん。この辺のほむらさんの銃の扱いを適当に見てしまったのでBDあたり出たらもう一回リピートしたい。頭吹っ飛ばすあたりからよく状況が飲み込めなかった。それからのさやかちゃん。本編でさやかちゃんが本当に苦手だったけど、「この子は既に魔女になってるんだよな」と思うとせつない。
実はこの時点でほむら以外の人物はすべて結界の作り物でさやかもまどかも偽物だと思っていたのです。おそらく杏子もマミもほむらの中の記憶の一部として引っ張り出されているのでは、と。そしてしばらく「ほむらの魔女探し」パートだったのですが、この時点で自分は
マミ、杏子 …… 本編で魔女化してないから△
さやか …… そんなに強い魔女じゃないし、ミスリードくさいので×
べべ …… 絶対ミスリードだから×
ほむら …… まさかの○
まどか …… 実は最悪の魔女として降臨したのさ◎
こんなどうしようもない予想を立てて見ていたのですが見事に本命外しましたね。ビューティフルドリーマー的なまどかの世界だと思っていたのに。スマホが黒い羽根になった時点で「ああやられた」と思いました。まさかの○が正解でしたね。畜生。
そんなわけでほむら魔女化です。一瞬見える量産型キュウべぇが怖すぎです。世界が崩壊していく過程が完全に「みんなのトラウマ」です。間違って金曜ロードショーとかで放送したらあどけないお子様たちの心に傷を残すこと間違いなしのイヌカレー空間。
ここにきてやっと大体の全容が明らかになる。要はキュウべぇは円環の理(まどか)に見つからないようにほむらのソウルジェムを魔女化させて、様子を見ていたのです。そんで魔女化したほむらを助けに来るまどかを捕まえようという魂胆。
相変わらず悪い奴だ。
で、マミと杏子はほむらの結界に引きずり込まれて、さやかとなぎさは円環の理(まどか)から派遣されてほむらを助けようとしている、と。この辺あたり展開がはやくて話の整理が追いつかなくなってきた。そこがまどマギの面白い所だからいいけどさ。
○ほむら第二形態からラストまで
問題の「叛逆」シーンがここから始まる。要はほむらが「悪魔」になっちゃうってことだけどさ。ほむらのもともとの願いは「まどかを守りたい」というものだったけど、本編の最後で結局まどかに守られたというか、救われている。これはやっぱりほむらにとっては不本意な結末でしかなかった。でも、まどかの望んだ世界で生きたいという気持ちもあった。そこで本編は終わっているけれども、これは本編の続きの話。
ループものを読んでいると、ループすればするほど絶望の値が強くなっていく。「世にも奇妙な物語」に「そしてまた、繰り返す」という作品があって、一日をひたすらループするだけで万馬券を当てたり人を助けたりするけど結局最後は元通りというところに絶望が押し寄せてくるところがとにかく怖かった思い出がある。
ほむらは何度も失敗した光景を見て、そしてまた何もない所へ帰っていく。どれだけまどかのことを想っていていても、リセットすればまたゼロからのスタートになってしまう。この行動だけで相当ソウルジェムも濁っていたんじゃないだろうか。ただ、ほむらの場合「まどかを助けたい」という希望も強く持っていたので持ちこたえていた部分もあったと思う。ところがまどかの願いにより二度とまどかを助けることができなくなってしまった。
つまり、ほむらはほむら自身の願いを達成していない。その辺に極限まで強い魔女になったりまどかをもぎ取れた理由があるのかもしれない。「自分の欲望のために力を使う」ということが本編の最後あたりでも繰り返されてきて、ここでまた「まどかと一緒にいたい」というほむらの欲望に正直になれるかどうかが試されたわけ。
まとめると「愛」のために生きるってことだね(なーんか違う)。
ほむらの願いは簡単で、「まどかと一緒の世界で暮らすこと」だけ。その願いのためにまどかの一部をもぎ取って、その力で世界を書き換えてしまった。ついでに、一緒に戦ってきた魔法少女たちにとって不利益の無いような世界も作り上げた。もちろん、その中にまどかもいる。まどかは円環の理のことを思い出そうとするけれども、ほむらはそれを阻止して、一緒にいようとする。
かーらーのー、賛否両論。
結局ほむらは悪魔になって幸せだったのか?
神まどかと悪魔ほむらは今後戦うの?
そしてなぎさの存在意義は?
本編はまどかの個人的願いが世界を書き換える話だったけど、新編はほむらが世界を書き換えることで個人的願いを達成する話というカウンター的存在としてみればいいんじゃないかと言うのが全体を通した結論。そういうわけで、映画観てからポスター見ると「やっと逢えたね」が全く違う意味に見えるから恐ろしい。
○疑惑のラストシーン
ほむらが微笑んで飛び降りる。後ろでボロボロになったキュウべぇのカットで「THE END」クレジット。意味深すぎる。
でも、こういうところに意味を深く求めすぎてもいけない気がする。そもそも悪魔ほむらには羽根があったし、飛び降りたくらいじゃ死なない。じゃあ何から飛び降りたんだっていうことになるけれども、特にそれっぽい演出をしただけなんじゃないだろうか。
無理やり意味をつけるとするならば、「悪魔ほむらの誕生」のために「暁美ほむらという人間の死」が必要になったってことかも。本編最終回は「まどかを誰も覚えていない」という形でまどかを葬ったから、今度は自らの手で自分を葬る必要があったのかも。ぼろぼろキュウべぇが何を意味しているのかは、続編あるなら続編にならないとわからないと思う。ただ、全体的にコキ使われているのか何なのか、本当にはっきりとしない。本編冒頭でほむらにボコされたことのリフレインかもしれないけど、何なんだろう。
全体としてみると物語はぎゅうぎゅうに詰められていてわかりにくいけれども、とにかく映像が豪華なので巨大スクリーンで見てほしいところではある。「わかる人だけわかればいい」というスタンスが全面に出ていたのも好評価。視聴者にわかりやすく解説してくれる魔法少女なんていらない。とにかくもう一回見たいんだけど、次に見れるのはソフト化してからだなぁ。早くみたいなぁ。