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傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~

主にひとり映画反省会。人の嫌いなものが好きらしい。

感想「月光ノ仮面」

死んでるのは確かに俺なんだけど……

じゃあこれを見ている俺はいってぇ誰なんだ……

 

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【あらすじ】

 敗戦後の昭和22年、戦死したと伝えられた落語家の森乃家うさぎが顔を負傷し、記憶を無くして戻ってきた。戦前は真打ち直前の大人気落語家であったうさぎの姿はそこになく、うつろに「粗忽長屋」を繰り返すばかりだった。そこにもう一人戦地から戻ってきた男が来て……。

 

【感想】

 お正月に映画見に行こうと思って、ちょうど初日なので行ってみたところ、なんと舞台挨拶の回に見ることができました。前情報一切なし、のまっさら状態で見ました。いつも伏線をどこで張っているかを見るのが大好きな人にはオススメ。

 

 ただ、普通に映画を見たい人にはオススメできない。だって、映画見るのに頭使うのって好きじゃないでしょ? 結構ネットでの評判は悪いようですが、好きな人は好きです。ただ合わなかったってだけで。一意見としては「変化球を打つのが苦手なのをタマのせいにするな」ってところです。理解できないのは自分の感性が足りないんだなと思うといいと思う。愚かだなと思えば愚かでもいいと思うけど、愚かなりの良さがあるわけで、そこを否定するってことは自分への敗北に繋がると思うのです。

 

 とりあえずもう一回見たい。舞台挨拶も拝見しましたが、もう一回見て、違う見方を発見するのがきっと正しい楽しみ方なのだろうと思います。

 

 

 

 以下、私的解釈をいくつかおいておきます。ネタバレです。



【森乃家うさぎについて】

 たぶんあれは二人で一人だったのだろうと思います。つまり最初から一人の人間。

本来は記憶喪失のまま帰ってきていて記憶が戻ってきたという演出がもう一人のうさぎなのだと思います。だから最初から二人は同一人物。二人いるような気がするのはあくまでも演出。明確に二人いるのはお月様が大きいから。


遊郭の穴掘り】

 あれはうさぎの心の中で、もがいている様子の情景なのだと思いました。本来の森乃谷うさぎが浅野忠信側だとすれば、板尾監督側はうさぎに近づくために掘り進めてた、ってところでしょうか。で、待っていたのがアレだったという話。

 

【疑惑の中松】

 タイムスリッパ―には笑わせていただきました。アレは深く意味を考えちゃ負けだと思うんです。

 

【池に落ちる】

 池に落ちるシーンが大好きです。石原さとみが何故縄を投げるのをためらったのか。それは壊れた人格のままのうさぎをこのまま楽にしたらどうかという恐ろしい考えが浮かんでしまったからではないかと邪推しました。実際はそうはならないんですけど、正直ラストよりこっちのほうが怖かったです。


【ラストシーン】

 「何じゃこりゃ?」となるところで「あー、なるほどー」と思っていました。あの戦場のカットたちは回想のようで板尾監督側が実際に見ていたシーンなのでは、と思った次第です。戦地でのショックを引きずって、見るものすべてがあの光景で、その中で小鮭としてやっていたのかと思うと何とも言えない無常、不条理である意味カタルシスでした。だから観客も一門もみんな生きてる。うさぎの話を聞いて笑ってる。でもうさぎの中ではまだ戦争が続いている。そんな描写だと解釈。最後の浅野忠信側の喉に包帯ないもんね。あのシーンがこの映画でのただ一つの客観的真実なんだろうな。